内容説明
急死した旧い友人の故郷、対馬への旅を思い立つ著者。船酔いに耐えつつたどり着いたその対馬は壱岐とともに、古来、日本列島と朝鮮半島の中継点でありつづけた地。海峡往還のなかでこの両島を通り過ぎた、あるいは数奇にもこの地で土に還った、有名無名の人々の人生を思う。政治情勢が帰ることを拒む故国の山影を見いだすため、波涛のかなたに目を凝らす在日朝鮮人の同行者の姿も胸を打つ。
目次
対馬の人
壱岐の卜部
唐人神
宅麿のこと
壱岐の田原
郷ノ浦
豆腐譚
曾良の墓
曾祖父の流刑地
神皇寺跡の秘仏
風濤
志賀の荒雄
厳原
国昌寺
対馬の“所属”
雨森芳洲
告身
溺谷
祭天の古俗
巨済島
山ぶどう
佐護の野
赤い米
千俵蒔山
佐須奈の浦
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
むーちゃん
122
五島列島の旅行中読了。昨年ちょうど壱岐に行きました。そして来年は対馬に行く予定。 韓国に一番近くでありながら対馬特有の文化を残していること、そして壱岐と対馬が対照的であまり友好的でないことは興味深かった。 2019/10/30
Book & Travel
52
古代から日本と朝鮮半島との中継点であった壱岐・対馬。鄙びた島の旅情と古神道の面影が残る独特な歴史が印象深く、また昨今混迷窮まる日韓(日朝)両国の交流史が掴める巻でもある。壱岐で没した河合曾良や対馬藩の儒学者・雨森芳洲などの歴史話も興味深いが、壱岐で出会う青年や、司馬さんが墓参する対馬出身の友人の話も心に響くものがあった。国家としての日朝関係史は複雑で、古代から絶望的に噛み合っていない様にも見える。「隣国との関係は互いに堂々たる他人であることが結局真の親善につながる」という文が的を射ているように感じられた。2019/08/28
kawa
33
壱岐・対馬編。①絶海の孤島同士、「ずるかですよ」「バカだといいます」と仲がよくない。それは農耕文化と漁村文化の違いからきているという。②飛鳥時代の都の神祈官(卜占《ぼくせん≫・当時の最先端の科学技術である獣骨の焼き模様による占い)の大部分は両島出身者、朝鮮半島・中国からの最新情報がいち早くもたらされたことが理由で、これらにより日本神道が成立③倭寇として朝鮮沿岸を荒らした対馬人、その懐柔として対馬・宗氏への米や朝鮮官職の賦与、④朝鮮通信使と外交担当者・雨森芳洲の丁々発止、など興味深い初知り事項が多数。 2020/04/23
ジャズクラ本
19
再読。読んだのは単行本の初版。週刊朝日の昭和53年2月3日号~8月25日号の連載。行先は「壱岐・対馬の道」。朝鮮通信使のこと、朝鮮文化の流入、そして在日朝鮮人である金達寿氏や李進熙氏を同行しての故郷への思いのくだりもある。対馬藩は日本で唯一奴隷制度のあった地域であり、朝鮮文化からの影響の考察が興味深い。その他、赤米のこと、須田剋太画伯の女性観など。司馬、58歳頃。2022/11/06
時代
16
壱岐・対馬では多分に朝鮮への思いを馳せる司馬さん。かなり前半からついていけなくなった。白村江の戦いは思い出したかな。まぁあっしはその程度の無知な輩なんでね。すんません△2018/02/23