朝日選書<br> ハプスブルク帝国、最後の皇太子―激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯

個数:

朝日選書
ハプスブルク帝国、最後の皇太子―激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年04月20日 14時37分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ B6判/ページ数 389,/高さ 19cm
  • 商品コード 9784022630445
  • NDC分類 288.493
  • Cコード C0323

出版社内容情報

命を狙われながら祖国復興に奔走するなど波乱にみちたハプスブルク帝国最後の皇太子の生涯から、もう一つの欧州現代史を辿る。

内容説明

ハプスブルク帝国最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの波乱万丈の生涯を、豊富な史料と本人へのインタビューで明らかにする。1916年、4歳で皇太子となったオットーは、1938年、ナチの傀儡となることを拒んだためヒトラーから執拗に命を狙われる。帝国崩壊後、亡命の身で祖国復興に奔走。戦後処理では、ルーズベルトやチャーチルと連携してソ連に対抗し、オーストリアを西側にとどめた。戦後は欧州議会議員として欧州統合に尽力、ベルリンの壁崩壊につながる1989年8月19日のパン・ヨーロッパ・ピクニックを主催した。戦いに次ぐ戦いの生涯にみる、もう一つの欧州現代史。

目次

幼年時代 1912‐1929
青年時代 1929‐1940
アンシュルス(ドイツによるオーストリア併合) 1938
パリ 1939‐1940
挑戦し続けるオットー 1940
再びアメリカへ 1940‐1944
オーストリア再興のための戦い
中央ヨーロッパの命運 1943‐1944
モスクワ宣言発効 1944
ハンガリー
第二次世界大戦終結後 1945‐1991
東西冷戦終結

著者等紹介

ファイグル,エーリッヒ[ファイグル,エーリッヒ] [Feigl,Erich]
1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去

関口宏道[セキグチヒロミチ]
1941年生まれ。文学修士。松蔭大学教授。専門はドイツ現代史

北村佳子[キタムラヨシコ]
1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 2件/全2件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

星落秋風五丈原

32
サラエボ事件の後、ハプスブルグ家の名前は歴史の表舞台から消える。しかしハプスブルグ家自体が消えたわけではない。暗殺されたフランツ・フェルディナント大公の弟オットー・フランツ大公の長男であるカール大公、その長男として生まれたオットーへとハプスブルグ家の命脈は繋がった。では、ところがオーストリアという国自体は第二次大戦でヒトラー率いるドイツに占領されてしまった。宗主国を失った彼等はどのように生きたのか。ハプスブルグ家とは異なる形でヨーロッパの秩序を守ろうとした。2017/05/04

スプリント

8
国を追われたハプスブルク家の皇太子がナチスに侵略され地図から消滅した祖国の為に奮闘する様が書かれています。第二次世界大戦終盤に米ソの狭間で翻弄される姿が切ないですが、欧州議会で独自の地位を確保できるのはさすが名門の家柄といったところでしょうか。2016/05/14

m

7
時代の転換期に生まれたオットー大公。国を追われても命を狙われても、負けずに祖国回復のために文字通り奔走した。手紙からも弱音は一切吐かず諦めない姿勢がうかがえる。ハプスブルク600年の歴史も伊達ではない。平常時でも良い皇帝になれたことだろう。2011年まで存命で、日本にも何度か来たことがあると知り急に親近感が湧いた。2019/12/04

ミッキー

4
地位にある者が信念を持った行動をとれば、社会を動かすことが出来るという事を示した内容。持ち場にあった行動が必要なのだと再認識させてくれます。参考になりました。2016/08/17

K・ITO

3
オットーは全てのオーストリア人がスペインへイギリスへと脱出するよう手助けをした。陥落が迫るパリから脱出するための書類をもたない共産主義者たちが「革命的」社会主義者と全く同じようにそのホテルに来た。オットーが命を救うべき人々の出国許可のスタンプのない旅券と必要書類の大きな束をもって内務省に行ったとき内務省職員はきわめて現実的な質問をした。「貴方は出国許可のスタンプを押してもらっているのだから貴方には関係ないでしょう」。オットーの答えは簡単だった。「しかし沈みかかった船を最後に離れるのは船長です」(126P)2016/07/27

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/10857846
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。