出版社内容情報
アウシュヴィッツ体験を描いた名著『これが人間か』から約40年、記憶の風化を恐れたレーヴィは、改めて体験を極限まで考え抜き、本書を書いた。だが刊行の1年後、彼は自死する。生還以来、罪の意識と戦い、証言し続けた彼は何を思い、生きたのか?
内容説明
アウシュヴィッツ体験を描いた名著『これが人間か』から約40年。記憶の風化を恐れたレーヴィは、改めて体験を極限まで考え抜き、分析し、本書を書いた。だが刊行の1年後、彼は自ら死を選ぶ。生還以来、罪の意識と戦い、証言し続けた彼を苦しめたものは何だったのか?
目次
1 虐待の記憶
2 灰色の領域
3 恥辱
4 意思の疎通
5 無益な暴力
6 アウシュヴィッツの知識人
7 ステレオタイプ
8 ドイツ人からの手紙
著者等紹介
レーヴィ,プリーモ[レーヴィ,プリーモ] [Levi,Primo]
1919年イタリアのトリーノ生まれ。44年2月アウシュヴィッツ強制収容所に抑留。45年1月ソ連軍に解放され、同年10月イタリア帰還。戦後は化学者として働きつつ自らの体験をまとめ、イタリア現代文学を代表する作家の一人となる。87年自死
竹山博英[タケヤマヒロヒデ]
1948年東京都生まれ。東京外国語大学大学院ロマンス系言語専攻科修了。現在立命館大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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テツ
22
アウシュヴィッツから生還した著者レーヴィ。その体験を文章としていくつもいくつも残した彼だけれど生涯救われることはなかった。極限状態で暴走する人間の醜く恐ろしい姿は彼の中身を蝕み続けその人生を終えるときまで決して癒えることはなかった。その瞬間に個々人の人間の尊厳と生命を奪うことだけでは済まない邪悪の爪痕。人間がどれだけ残酷で穢れているのかを見てしまったことにより抉られた心。自戒しなくてはならない。ぼくもあなたも加害者としてこれができてしまうということ。だからそんな流れに敏感にならなくてはいけないということ。2020/02/02
またの名
13
同じアウシュヴィッツの収容者でもただただサディスト的悪意から他人の身体を殴るタイプが入ってきて困っていたら、話を聞いた共産主義者の収容者がガス室送りのリストをすり替える技で問題の人物を消してしまう。政治犯だと囚人なのに強い力を持っていた事実も驚愕ながら、そこで生き延びることができる理由は希望を持つとか持たないとか曖昧な形而上学的真理ではなく、著者が強調するように絶対悪のナチス兵士と絶対善の被害者という区別も崩れていく。生還者の多くは被害者なのに罪悪感に苦しみ自殺したとされ、著者がまさしくその一人になった。2021/08/22
CCC
8
収容所での体験とそれに対する考察という『夜と霧』とも重なる内容。ただ犠牲者側の後ろめたい(と思わされた)ところやことのその先について、より書いている感じを受けた。手紙のやり取りなどは読んでいると、犠牲者たちの体験した現実が、死人に口なしというもう一つの現実に対抗できるかが難しく思えてきて暗澹とした気持ちになる。生き残った当事者の言葉でも通じないところには通じないのだから。著者の嫌う伝達不可能性という言葉をここに感じてしまうほど。2025/05/03
lico
6
アウシュヴィッツから40年後に当時を振り返って書かれたエッセイ。臨場感は薄れ、かわって現れるのはホロコーストを眺める様々な人々への思いである。あるドイツ人が手紙の中でホロコーストについて語った『絶対に正当化できないことは、忘れることです(251P)』という言葉が強く心に残る。レーヴィが『これが人間か』で語っていたのは「何が起こっていたか」だった、風化していく年月の中で彼の関心は「何が起こっているのか」にうつっているように感じた。アウシュヴィッツは変わらない、変わっているのは我々なのだ。2023/09/23
ののまる
6
これだけ考え抜いて、自分の辛い体験を掘り起こしつづけるのはとてもしんどいことだ。自殺されてしまったが、ずっと著書となって生き続ける。2023/01/02
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