内容説明
石川県金沢とその近くで同年に生まれ、第四高等中学校で同級生だった鈴木大拙(一八七〇‐一九六六)と西田幾多郎(一八七〇‐一九四五)。本書はその二人の友情と交流を軸に、禅でつながり、近代日本を創建した明治の青春群像を、日記・書簡や証言等を引きながら丹念に描いた心温まる評伝である。これから西田と大拙を読む人の入門書としても格好の書。
目次
序章 ある墓所の物語
第1章 幾多郎、貞太郎たちの青春
第2章 上京―旅立つ若者たち
第3章 禅、海を渡る
第4章 門に立つひとびと
第5章 在アメリカ
第6章 三井集会所
第7章 憂いの大正時代
第8章 冬から春へ
終章 世界を駆ける
著者等紹介
森清[モリキヨシ]
1933年東京生まれ。法政大学第二文学部中退。鉄工所勤務を経て、山野美容芸術短期大学教授、副学長を務める。働くこと、生きることをテーマに文筆活動を展開(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
- 評価
ワタシのおしごと用本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
MrO
0
評伝ではなく、思想書でもない2016/02/11
鯨、或は山田
0
著者の既刊や書誌の分類から分かる通り、鈴木や西田の学術的な面ではなく、その交友関係や生き方といった、社会・文化的な面からのアプローチがなされている。そのため、京都学派などの学友や弟子の名は少なく、三木清や和辻哲郎が少しばかり登場するばかり。田辺元が出てこないのはさすがにびっくりした。しかしそれはそれとして従来の専門書から伺い知る二人とは別の顔を感じた。かれらの友情は厚く、そして広い。もはや東慶寺はある種の聖地である。2012/03/23
MAGASUS藤丸
0
鈴木貞太郎大拙と寸心西田幾多郎は、石川県の第四高等中学校の同級生。大拙はアメリカに渡り仏教を研究し、海外に日本の禅を広める。哲学者西田も禅を心の支えにしており、共に釈宗演の弟子。同時代の内村鑑三や新渡戸稲造は、大拙に言わせればキリスト教の理解不十分。幾多郎「禅の研究」が有名だが、大拙の「禅と日本文化」には、武士道、茶道、俳句などが平易に語られているようだ。全体として、二人の友人関係を軸に、明治の日本人がどのようにその精神性を含めて、海外に知られて行ったかが良く分かる、一見小難しいが、面白い本であった。2012/02/20