内容説明
幼い息子が奇病にかかり、あと十余年の命と宣告される―理不尽と思える不幸に見舞われたラビ(ユダヤ教の教師)が絶望の淵で問う。神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは…。自らの悲痛の体験をもとに、旧約聖書を読み直し学びつかんだのは何であったか。人生の不幸を生き抜くための深い叡智と慰めに満ちた書。
目次
1章 なぜ、私に?
2章 ヨブという名の男の物語
3章 理由のないこともある
4章 新しい問いの発見
5章 人間であることの自由
6章 怒りをなににぶつけるか
7章 ほんとうの奇跡
8章 ほんとうの宗教
著者等紹介
クシュナー,H.S.[クシュナー,H.S.][Kushner,Harold S.]
1935年ニューヨーク生れ。コロンビア大学卒業後、ユダヤ神学校に学びラビとなる。現在ボストン近郊ナティックにあるイスラエル・テンプルの名誉ラビ
斎藤武[サイトウタケシ]
1943年生れ。米国エモリー大学神学部に学んだ後、病院で牧会カウンセリングに従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
94
ヨブ記になぞらえて、苦しみについて考察しています。「何故」苦しむのかというのではなく、私「だけ」が苦しむということに対する答を見いだせるような気がしました。絶望の縁で問われる神、人生、苦悩、祈り。それらに対する神のあり方を、聖書を読みながら著者の体験や考えを交えながらの語りに、人生の不幸を生き抜く力を叡智と大きな慰めの心で論じていると思います。ユダヤ的視点が多いのは、著者がユダヤ教のラビであるからでしょうが、キリスト教視点からも考えていくことができます。理不尽な世、生きる為のあり方を示していました。2016/04/28
trazom
90
伝説的な名著。著者はユダヤ教のラビ。息子が難病に侵されて14歳で早逝するという絶望の中で、神や祈りを問う一冊。冷静で淡々とした言葉の数々が心に沁みる。副題に「現代のヨブ記」とあるが、ヨブ記の素晴らしい読み解きにもなっている。神は全能でなく、悲惨な出来事を防げないが、不幸を乗り越える勇気と忍耐力を与えてくれる。だから、「なぜこんなことが起こったか?」ではなく、「今、私はどうすればよいか?」を問おうと言う。「神は完全でないと知った今でも、あなたは、神を赦し愛することができるでしょうか?」と師は呼びかける。2020/08/29
WATA
53
突然の不幸に見舞われた人に対して、どのように接すればいいのか。本書は神への信仰が話の中心になっているが、私は人と人との結びつきに関するアドバイスのほうが印象に残った。以下抜粋:「悲しんでいる人を非難するようなことはすべてまちがいです。」「悲しんでいる人に、自分の感情を否定したりごまかしたりすることを促すようなことも、まちがっています。」「悲しみに打ちひしがれている人のそばに、ただただ黙っていてあげ、その人が泣いていれば泣く手助けをしてあげるのです。」2014/04/08
zirou1984
44
先日、「不幸とは何か」というお題で話し合う機会があった時にふと思い出した本書。ラビ(ユダヤ教の師)であり子供を難病で亡くした著者が旧約聖書の文学的傑作『ヨブ記』を紐解きながら、人生における苦難との向き合い方について筆を進めていく。因果の誤謬に縛らぬよう諭すのは仏教的だし、祈りを神に対する行為以上に共に祈る者たちへの社会的紐帯として考えるその視点はキリスト教めいている。宗教にできること、できないことは何なのか。その限界を身をもって経験しながら導き出された内容は信仰心の有無に関わらず響いてくる良書であった。2015/09/15
優希
39
再読です。ヨブ記になぞらえての苦しみの考察は、「何故」苦しむのではなく、私「だけ」が苦しむことに対する答えを論じているように思いました。絶望の縁で結ばれる神のあり方を、聖書に己の生き方を重ねることで、人生の叡智語っているのですね。ユダヤ視点が多いのですが、キリスト視点で苦しみを考えることができます。2023/09/26
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