内容説明
『蜻蛉日記』は、大政治家の藤原兼家の妻として、波瀾に富んだ生涯を送った道綱母が、その半生を書き綴った王朝女流文学の代表作。結婚生活の苦しみ、夫兼家とその愛人たちへの愛憎の情念が、流麗にして写実的な筆致で描かれる。作品中の和歌は、一段の精彩を放っている。韻文と散文が互いに交響することで、物語に独特の陰翳を与えている。室生犀星の味わい深い現代語訳により、日本古典文学の豊穣な世界に、現代の読者を誘う。
著者等紹介
室生犀星[ムロウサイセイ]
1889‐1962年。石川県金沢市生まれ。詩人・小説家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Masako33
5
筆者は、いつも夫を失うのを恐れ、お先真っ暗だと沈みつつ、そんな心情をうまく歌に詠めたら、夫に送りつけ、ちょっと自慢げに日記に披露する。兼家はいいかげんに躱しているが、結局は道綱母の才能を評価し、その正直さを可愛く思っていたのではないか。現代人からすると、恨み節なのか惚気なのかわからない不思議な日記だが、道綱母が夫を一途に愛していたことは確かに伝わってくる。2016/05/06
YY
2
文のやり取りを見てると、なぜに兼家が通うのを受け入れたのかいまいちわからないが、そのわからなさとそれでも通ってこなくなったことへの恨みがましさが変なバランスで、非常に人間臭い。あと、道綱の歌が微妙だったから、振られてもしょうがない、と思った。2014/06/26
ダージリン
1
道綱の母、の夫が藤原兼家ということも知らなかったぐらいで、全く予備知識をもっていなかった。序盤の歌の応酬にまず戸惑う。ことあるごとに世をはかなみ、何かあれば泣き、全篇こうなのかと呆然となったが、その内テイストにも慣れ、後半はそれなりに楽しめた。兎に角泣いてばかりいる印象は残るが、当時は何かあれば泣くものだったのだろうか?上流貴族の世界はああいう感じだったのか、脚色というか誇張して書いているのか、この時代の知識がなく計り難い。少し勉強してみよう。2018/12/21
ウラタキ
1
「かげろうの日記遺文」を読んだあとだったので、訳者の文章がするっと入ってきた。この時代の人たちは痴話喧嘩さえ歌でやりあうんだなあ。兼家のことを、とうに飽きたおもちゃを、それでも自分の目に届くところに置いておかないと癇癪を起す子供のように見た。2015/11/07
石川さん
1
以前ビギナーズで軽くストーリーをみたのですが、今回は現代語訳を通しで読んでみました。全部読んでみても、結局「夫がなかなか通ってこなくてつらい」を延々聞かされるお話でした!気持ちはわかるけど、こんな恨み節では、たとえ美人であっても、夫もなかなか通ってこないよなあと思います。他人の私も、読んでてやんなっちゃったもん。正妻は別に居たんですね。それもよくわかってなかったです。藤原兼家の妻だと、ちょっと語弊があるんだ、と。2013/08/29