出版社内容情報
監督吉田喜重が,小津安二郎作品の秘密に迫る.映画史に残る稀な達成を支えた人とその思想とは.愛するがゆえに映像の「まやかし」を知り,「戯れる」ことで映画の本質に最も近く立った人――.これまでの通説を覆す作家像が姿を現す.最晩年の巨匠に接し,自身の長年の映画作りの歩みを通して小津と対話してきた著者ならではの作品論.
内容説明
映画を愛するがゆえに映画の「まやかし」を知り、それと「戯れる」ことで映画の本質にもっとも近づきえた小津安二郎。そのフィルムが秘める黙示録が、いま映画監督吉田喜重によって解き明かされる。この二人の監督の伝説化された、わずか二度の邂逅は、いまも生きている映画の歴史にほかならない。芸術選奨文部大臣賞、フランス映画批評家協会賞を受賞。アメリカ、フランス、イタリア、ブラジルなど海外でも翻訳出版され、高く評価されている。
目次
1 小津作品らしさについて
2 ただならぬ映画の原風景
3 時代に逆らう戦中戦後
4 見ることの快楽―『晩春』考
5 黙示する映画―『東京物語』考
6 歓ばしき晩年
著者等紹介
吉田喜重[ヨシダヨシシゲ]
1933年生まれ。映画監督。著書『小津安二郎の反映画』は、芸術選奨文部大臣賞、フランス映画批評家協会賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
25
意地悪く言えば、冷徹な批評家の手による批評ではない。小津を慕う人物だからこそ書くことができた、小津に寄り添った批評として結実している。だがその読みは決してヌルいものではなく、深遠に(哲学的に?)死生にまで絡めた鑑賞を行っている。吉田自身映画監督ということもあって小津の舞台裏を眺め通すことができた人物なのだろう。この本を片手に小津に入り、小津の世界を堪能したいと思わされる。だがその一方でこの批評が「外」の観客にどこまで伝わりうるものかという疑問も(これもまた意地悪く言えば)思う。なかなか剣呑な1冊だが面白い2022/03/27
踊る猫
25
私は小津の良き鑑賞者というわけではない。この書物を読み、また小津の世界に触れたくなった。それにしてもなかなか……平たく記されているが、展開されている論は難解。私たちが事物を見るのではなく、事物が私たちを見ていると捉える立場から哲学的に(汎神論的に?)整理が為されていく。だから注意深く読まないと危険だろう。小津の世界が保守的であること、反復とズレを繰り返すことで成り立っているということ、老いを(短いものであれ)描いていること……同じ映画監督だからこそ書けた小津論とでも呼ぶべき渋い書物だ。魅力的な好著だと思う2018/10/12
Bartleby
14
また好きな監督が亡くなった(12/8)。今年はゴダールに青山真治にと、大きな喪失の年。本書は吉田監督がひたすら小津安二郎について書いた本。雲の上の人でもなく、かといって距離をおいて語れる人でもない、そんな微妙な距離感。俳優の名前が全然出てこないところがユニーク。納得させられたのは、ローアングルショットなど独自の手法、ルールを原則用いながらも“小津さん”は同時にそのゲームの規則をやすやすと破ってしまうところ。これが魅力でもある。また、観客が小津映画に見られているという指摘にも膝を打った。合掌。2022/12/10
つまみ食い
2
小津安二郎の映画におけるローポジションに固定されたカメラや対話シーンでの既成の映画文法の無視といった映像的な特徴やシナリオ上の特徴、表象(『晩春』の壺など)を自身も映画監督である吉田喜重が分析する。2021/08/31
yokmin
2
P-29 <小津安二郎>「僕はトウフ屋だからトウフしか作らない・・同じ人間が、そんなにいろいろな映画をつくれませんよ。何でもそろっているデパートの食堂でうまい料理を食べられないようなものです。ひとにはおなじように見えても、僕自身はひとつひとつに新しいものを表現し、新しい興味で作品に取りかかっているのです。何枚も同じバラを描きつづけている画家といっしょですよ」 映画監督の映画評論は一般観客が感じるものとは別物のようだ、高橋治もしかり。違和感あり。 荻昌弘の「晩春」論、「第三の男」論を読みたくなった。2012/10/23