出版社内容情報
永井荷風没後最初に書かれた精緻な評伝。上巻は両親の家系に始まり、明治12年の出生から作家としての名声を確立した大正末年まで。下巻は昭和2年から戦争の時代を経て34年の死まで。荷風の交遊関係を網羅した基本書。
内容説明
下巻は昭和時代。関根歌との出会いと別れ、銀座での交遊、玉の井通いと名作『〓(ぼく)東綺譚』の発表、母の死、浅草オペラとの関わり、戦時下の窮乏生活、東京大空襲と偏奇館焼失、西国への疎開と岡山での終戦。戦後市川への転居、文化勲章受章、浅草通いと三十四年四月の死まで。荷風の親族、師、友人、女性関係を網羅。以後の荷風評伝の原型となった基本書。
目次
第四章 昭和二年から二十年まで(昭和二年(一九二七年)四十九歳
昭和二‐三年(一九二七‐二八年)四十九‐五十歳
昭和三年(一九二八年)五十歳
昭和四年(一九二九年)五十一歳 ほか)
第5章 昭和二十一年から死まで(昭和二十一年(一九四六年)六十八歳
昭和二十二年(一九四七年)六十九歳
昭和二十三年(一九四八年)七十歳
昭和二十四‐二十七年(一九四九‐五二年)七十一‐七十四歳 ほか)
著者等紹介
秋庭太郎[アキバタロウ]
1907‐85年。近代日本演劇史研究家・永井荷風研究家。東京都生まれ。30年東洋大学支那哲学文学科卒業。在学中から江戸・明治の文学、演劇の資料を収集。陸軍少佐として従軍。46年から日本大学に勤務、図書館長を勤めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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方々亭
3
永井荷風の評伝。下巻は昭和二年(荷風四十九歳)から昭和三十四年、八十一歳で没するまでを扱う。この本が出版されたのは昭和四十一年なので、荷風が亡くなってから十年も経っていなかった。晩年に交流のあった関係者に直接取材しているのは今となっては超絶貴重と言える。昭和二十年太平洋戦争の東京大空襲で偏奇館が焼失、焼け出された荷風は知人を頼ってあちこち転々とし、その度に空襲にあう。奇行の人と知られるようになったのはこの頃からだ。長年気ままに独居していた荷風が、同居人との軋轢を生んでしまうようになるところが切ない。2021/04/10
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