内容説明
平安朝最高の漢詩人であった菅原道真。彼の事績に古代日本における外国文化の移入と、それをさらに高次の価値へと結晶させようとする文化的営為を見る。「写す・映す・移す」という意味を含む「うつし」という概念によって道真の作品を考察し彼の軌跡を追い、「モダニスト」としての道真像を浮き彫りにして、現代文化のあり方をも問う力作。
目次
はじめに―「うつし」序説(写実主義はなぜ勝利しなかったか;「うつし」という言葉 ほか)
1 菅家のうつしは和から漢へ―修辞と直情その一(菅原道真研究史;漢と和の統合 ほか)
2 修辞のこうべに直情やどる―修辞と直情その二(「詩を吟ずることを勧めて、紀秀才に寄す」;「阿満を夢みる」 ほか)
3 詩人の神話と神話の解体―修辞と直情その三(「寒早十首」;道真追放の理由 ほか)
4 古代モダニズムの内と外(詩人の達観;漢詩文から大和言葉文芸へ ほか)
著者等紹介
大岡信[オオオカマコト]
1931年静岡県に生まれる。1953年東京大学文学部卒業。詩人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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獺祭魚の食客@鯨鯢
57
「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らむ」「未だかつて邪は正に勝たず」 天下の秀才が詠んだ漢詩の読み下し文。五七五の律を踏んでおり心にスッと入ってきます。彼の無念さが滲み出ています。 今は学問の神様となって神頼みされる立場になったことを面映ゆい気持ちになっているかもしれません。 後段の歌は神として邪(よこしま)な輩は許さないという強い気持ちを述べ、それが彼を支え晩節を汚すことなく過ごせたのだと思います。 同様の立場にある今の私の心に深く突き刺さります。(矜持だけはなくしたくないものです)
松本直哉
19
題名の通り歌人でも政治家でもなく詩人の道真の魅力を豊富な実例とともに明らかにする。挙げられている詩はどれも雄勁で華麗で、もっと読んでみたくなる。流謫の孤独の中で唐の詩人と対話しつつそれを自家薬籠中のものとして「述志」の詩を書く。その後の文学史で漢語を排除した和歌が隆盛し、叙事的よりは叙情的で曖昧模糊とした短詩が栄えたことを考えると道真の特異性がよくわかるし、彼がもし流罪にならず中央の文壇で活躍し続けたならその後の文学は大きく変わっていただろうと想像する。2017/06/05
モリータ
10
よく取り沙汰される菅原道真の経歴や天神信仰は背景にして、あまり知られていない詩作を「うつし」の観点から見てみようという本。本文が読みやすいばかりでなく、紹介された菅原道真の漢詩も平易・直接的でわかりやすい。異なる言語体系とその詩文の構造を学んだ人間が書いた異言語あるは母語での詩文の与える感興というのは、確かに同時代的な問題だろう。少なくとも新たな日本語文体の創出に成功した作品には、少なからずそういう側面があるのでは。和歌に述志が少なく、漢詩に多いというのは加藤周一の文学史序説にもあったのを思い出した。2016/02/04
家本明佳
4
菅原道真の詩人としての側面について書いた本。詩人の先生が書いているだけあってか文章はとても読みやすい。内容の方は、道真の詩と生涯を通して、古今東西普遍的な「日本の詩人なるもの」について書いたような感じ。読み終わると天神様がちょっと好きになれる。
isfahan
3
こういう本が「教養」と名付けられるのだろう。菅原道真を論じるにとどまらず、優れた和歌/漢詩論であり、日本語論でもあった。和歌は歌われる状況の描写よりも、その雰囲気(「もののあはれ」と呼ぶこともできる)を表すことに特化したという説はあまりにも明快。それ故に、言葉を増すのではなく、俳句という形で短くしより「雰囲気」(情緒)の描写に特化していったという。しかし大岡自身は道真の詩作術を研究して、日本語の韻文で、どうすれば、雰囲気以上のこと、社会性を帯びたことを語れるかを考えていたようだ。戦中生まれだからだろうか。2017/12/10
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