内容説明
人文学の危機が現代にもつ意味とはなにか。人文学的価値観はいかにデモクラシーに寄与しうるか。生涯をかけて人文主義者を体現したエドワード・サイード。他者の歴史と思想に反映する自己批判からこそ、正確な自己認識が生まれると説き、人文学の真の目的をここに論じる。人文学再生にむけた、サイード最後のメッセージ。
目次
第1章 人文学の圏域
第2章 人文研究と実践の変わりゆく基盤
第3章 文献学への回帰
第4章 エーリッヒ・アウエルバッハ『ミメーシス』について
第5章 作家と知識人の公的役割
著者等紹介
サイード,エドワード・W.[サイード,エドワードW.] [Said,Edward W.]
1935‐2003年。エルサレム生まれ。1963年から米国・コロンビア大学で教鞭をとり、92年から同大学教授(英文学・比較文学)
村山敏勝[ムラヤマトシカツ]
1967‐2006年。成蹊大学文学部助教授
三宅敦子[ミヤケアツコ]
1969年生まれ。西南学院大学文学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
30
2006年初出。この本のほんとうの主題は人文主義それ自体ではない。主題は人文学と批評の実践(2頁)。人文学の核は、歴史の世界は世俗思想にあり、この世界を理性的に理解するための原理は、ヴィーコの『新しい学』が打ち立てた。何かを知るとは、作られた際のありかたを通じて知ること(13頁)。知ることとは、あるものがどのように作られたかを知ること(14頁)。人文学の本質:歴史を、白人男性の欧米人だけでなく、あらゆる人にとっての、自己理解と自己実現の過程(33頁)。2015/09/02
cockroach's garten
23
『オリエンタリズム』や『知識人について』で知られているパレスチナ人哲学者(パレスチナまたはエルサレムは当時イギリスの委任統治領だったのでイギリス人とも言えるが)の集大成となったのが本書である。内容はこれまでサイードが主張してきた考えを集約したものだが、人文学の存在価値が多くの人に蔑ろにされている今の時代こそ読むべき本だと感じた。当然本書が書かれたのは2004年なので最後の彼による警鐘だったのだが、さらにテクノロジーが進化し、人々の目が人文学から離れている時にまた人文学を顧みることも必要なことであると思う2020/03/20
ネムル
17
911以降のアメリカの混沌に向けた、サイードの警鐘と人文学蘇生への提言。そして遺著でもある。研究者のタコツボ・研究室への隠遁批判、文献学の重視。書かれている内容は意外と真っ当とも、どこかカビ臭いとも反時代的とも言えるが、現代という時代への批評の使命を声高に上げるサイードはカッコいい。「批評とは、つねに休むことなく自らを明確にするものであり、求めるものは、自由、啓蒙、さらなる働きかけの力であって、それらの反対のものではない」、ひとまずは自己啓発の本として胸にしまっておこう。2019/11/26
Narr
13
人文学とは、「歴史における言語の産物、他の言語や他の歴史を理解し、再解釈し、それと取り組み合うために、言語のさまざまな力を行使すること」(35)=「オルタナティブな語り」をもたらすものであり、その力の行使によって、従来自明視されてきた公的記憶や国家アイデンティティ、歴史や自己認識に対して「問い詰め、転倒させ、定式化しなおす」(35)=批評という使命が果たされる、というのがサイードの主張か。歴史やアイデンティティの多様さ複雑さ改めて意識し直さねば。表象における必然的な汚染や関与の存在の指摘も重要。2021/10/20
ハンギ
6
サイードの遺著みたいな本らしい。2006年単行本で出版された本が文庫になってた。原著は2004年出版。イラク戦争やパレスチナ問題などに触れられていたりして、政治的にも興味深かった。批評とは何か、知識人や作家とは何か、と考えるサイードは時に驚くほど積極的で、なかなか日本では見かけないくらい。批評や言論は簡単に政治化してしまうような問題で、そこから距離を取り、自分の考えを深めるためには、人文学の古典を読めばいいのかな、と思ったが、もちろんそこに正解はないのだ。2013/10/22
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