内容説明
ドイツ神秘主義の主峰エックハルトと禅は魂の根底とは何かという問いに向きあい、それは神の根底であり無であると説く。東西の伝統の狭間を通底して響きあう両者にとって根源的経験とは何か。著者はそこに神秘主義的合一を脱却した非神秘主義の自由な平常心を見て取る。現代における人間存在の窮地を様々な連関から長年にわたって究明してきた独自の深い思索が光を放つ。新編集版の著作集成。
目次
序説(禅への道;禅―その相貌と風貌;法は人によって貴し;マイスター・エックハルト―思想の運命;非神秘主義へ)
対照(禅とエックハルト)
神秘主義と非神秘主義(中世の神秘主義;神秘主義とは何か;神秘主義の意義;神秘主義から非神秘主義へ;「一」をめぐって)
禅(坐禅論―道元「普勧坐禅儀」をめぐって;日常工夫;「わが禅は坐禅にあらず」;円相・空相・狂相;真の自己―「十牛図」を手引にして)
マイスター・エックハルト(離脱―脱却して自由;「マルタは長くかつ善く生きた」;説教におけるエックハルトの「私」)
著者等紹介
上田閑照[ウエダシズテル]
1926年東京生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。東大名誉教授。専攻・宗教哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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♨️
2
エックハルトと禅とを横断しながら、神あるいは真の自己との合一(神秘主義で例えば「法悦」と語られる事態)を終局とするのではなく、そこからの離脱、「神秘」から「非神秘」に降りてくることこそが神秘主義なのだとする。そうした神秘主義解釈はエックハルトの「マルタとマリア」読解(通常の解釈に反しエックハルトは法悦に耽るマリアではなく労働するマルタを神から見放される限りでその合一が徹底されているとしてより高次とする)から示されるが、禅問答の読解でも柱となり説得力ある議論がされてると思う。同著者の本を読み理解を深めたい。2023/02/15
galoisbaobab
2
「親に会っては親を殺し神に会っては神を殺す」否定の否定の・・・(無限に繰り返す)プロセスの先にある状態をいくらコトバで説明しようとそれは無理。禅籍は読んだ後は燃やすしかないのだ。2014/12/17
大道寺
2
定方晟『空と無我』で主張される「空思想は神秘主義にあらず」を読んで、そもそも神秘主義とは何だろうかと思い、積んであった本書を思い出して読み始めた。買った理由は、単に東西の宗教の比較を読みたいという程度のことだった。(1/3)2012/08/04
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