内容説明
児童養護施設で長く暮らした著者が自らの生い立ちをふりかえる。親に愛された記憶を持たず、孤独と疎外感、深い絶望のなか、自分は何のために生きているのかと問い続けた日々…。困難と向き合いながら生きる意味を探し、やがて「生きててもいいんだ」という思いに辿りつくまでの歩みを綴る。
目次
1 子どもの頃(父と母、そして私;近親者の喪失;母子生活支援施設での暮らし ほか)
2 施設を巣立って(地球一周の船旅;フリーター;大学生活 ほか)
3 子どもの自分を育てる(瞼のおじいちゃん;もうひとりじゃないよ;子どもたちのおかげ ほか)
著者等紹介
渡井さゆり[ワタイサユリ]
1983年大阪府生まれ。家庭の事情で、幼少の頃から母子生活支援施設や児童養護施設など社会的養護のもとで暮らす。高校卒業と同時に施設を退所し、フリーターを経て東洋大学社会学部社会福祉学科に進学。在学中の2006年に「児童養護の当事者参加推進勉強会日向ぼっこ」を立ち上げる。2007年、大学卒業と同時に児童養護施設などで生活した人たちが気軽に集える「日向ぼっこサロン」を開設。2013年に引退(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しいたけ
65
著者が立ち上げたNPO法人「日向ぼっこ」は、社会的養護で育った当事者が作り上げる居場所である。この本の執筆を始めた頃、著者は様々な人のインタビュー形式を考え、実際作業を行っていたという。すぐに自身の育ちの振り返りが先決と方向転換したとのこと。よくぞこの本を書いてくれた。虐待家庭に育ち施設経験の長い著者にとって、その振り返りは曖昧としていて雲をつかむようである。だからこそ、施設で子どもと共に行うライフヒストリーの確認が、いかに重要かと教えてくれる。鮮やかな思い出があるということは、とても幸せなことなのだ。2016/06/24
汐
61
図書館本。児童養護施設で育った著者が幼い頃から今までを振り返る。模範となる大人像がなかったという著者。しかし学生時代には委員会を率先して行い、バイトに励み、思い切った行動を重ね、社会的養護の当事者団体を立ち上げるまでに。でも、そのがむしゃらな生き方が一種の自傷行為であると著者は言う。目の前の事に一生懸命になるということは、周りが見えなくなり、自分を追い詰めてしまうかもしれない。しかし、がむしゃらに生きられるのはそれだけ打ち込めるものがあることだと思います。施設で育った当事者の思いを知ることができた。2016/07/04
しょうじ@創作「熾火」執筆中。
31
【図書館本、1回目】。まず、「育ち」と「」でくくってある点に目を奪われた。読んで思ったことは、1億3千万冊の「「育ち」をふりかえる」があっていいだろうなということ。いのちは芽吹き、根を張り、やがてたくましい幹となる。「だから」◯◯しようとか、感謝を忘れずにいこう、ではない。電車で痴漢から身を守ったエピソードから、自分を守り、育てるのは、まずもって自分自身なんだなと読み替えてみた。読み終えて、渡井さん、この本を書くことができてよかったですね、と著者にお伝えしたいです。2017/11/01
も
28
家庭の事情により児童養護施設で育った著者が自らの生い立ちを通して「育ち」をふりかえります。人から必要とされていないと感じながら育つということは、施設を巣立ったあともものの考え方や行動に影響を及ぼします。自分を肯定するとか誰かに頼るとかそういう気持ちを育てていくのが必要なのではないかと感じました。2015/02/10
ゆう。
24
児童養護施設で育った著者の経験を振り返った本です。両親への葛藤や社会の中で必要とされていないのではないかという葛藤など、施設で暮らした著者の正直な思いが綴られています。現場では施設よりもなるべく家庭でという現実がありますが、施設職員をはじめ成長過程の中で愛された経験が、自己肯定感を持ちにくかったとしても大人になって振り返った時に生きる意味を考えるうえで大切なのだと思いました。大切なのは、目の前にいる子どもにとって、今何が守られなければならないのかを見抜く専門職の眼なのかもしれません。いろいろと考えました。2015/02/16