内容説明
「永遠に家を忘れるためにこの国を離れ、死ぬために出発するような気がする」―。外国へ旅立とうとするショパンの不安は、侵略を受けつづける祖国ポーランドの苦悩とともにありました。花束のような華麗な音楽のかげに、祖国独立への情熱と亡命者の悲しみを忍ばせたショパン。かつて帰国の権利を奪われた在日のピアニストが、共感をこめて描きます。
目次
第1章 少年時代
第2章 青年時代
第3章 失意の日々
第4章 栄光の時代
第5章 病と死
第6章 音楽は思想
著者等紹介
崔善愛[チェソンエ]
ピアニスト。音楽芸術家協会所属。1959年兵庫県生まれ、福岡県に育つ。愛知県立芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、同大学大学院修了。大堀敦子氏に師事。米国インディアナ大学大学院に3年間留学し、ピアノをジョルジュ・シェベックに、室内楽をヤーノシュ・シュタルケルに師事する。21歳のとき、「外国人登録」の指紋押捺を拒否し、そのことを理由に再入国不許可となり、特別永住権を剥奪され、二つの裁判を最高裁まで20年間闘う。1999年国会参議院審議に参考人として招致され、結果的に法務省自らが最高裁判決を覆し、翌年14年ぶりに特別永住権を原状回復する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kana
23
祖国ポーランドなくして、ショパンを語るのとは出来ないと、痛々しさが胸に迫りながら読んだ。1830年、十一月蜂起の際、彼はポーランドを離れたことを後悔していた。「死にたい」という感情と隣り合わせで作曲された、スケルツォ ロ短調、バラード第一番、革命エチュード。父が亡くなった時に描かれた、舟歌、子守歌。これらを弾く時も、聴く時も背景を頭に入れておきたい。2021/07/07
双海(ふたみ)
14
ショパンの妹は詩を能くしていたそうです。14歳で結核により亡くなります。その直前に遺した1節「死ぬことは私の天命/死は少しも怖くはないけれど/怖いのは 貴方の/記憶の中で死んでしまうこと」2020/07/22
angelooo7
10
ショパンの音楽はロマンティックでセンチメンタル過ぎるという「誤解」は、日本にもまだあるのではないでしょうか。彼の音楽は、単に甘いロマンティックなものなどではなく、故国ポーランドの悲劇を自らの悲劇として背負い、侵略に対してどう戦えばよいかと苦悩した日々のなかから生み出されたものなのです。2015/03/24
禿童子
6
ショパンの曲はむかし聞いたことがあるぐらいで、ジョルジュ・サンドとのロマンスは知ってましたが、ショパンの短い一生のあいだに、祖国ポーランドの占領、ワルシャワ蜂起と鎮圧、ロシアの圧政と、華々しい若き天才の栄光と成功、肺結核による死が凝縮されて、その後に音楽が永遠に残されたと感じました。題名の「花束の中に隠された大砲」は、シューマンの言葉だそうです。20世紀まで続くポーランドの悲劇的な歴史の血と涙の結晶をまた聴いてみたくなりました。2016/02/04
Kapi
4
図書室で借りました。ショパン、芯の通った人だったんですね!病弱なイメージしかありませんでした。ごめんなさい!!!2014/09/25