出版社内容情報
半世紀に及ぶ粘り強い取り組みによって、窮乏する米沢藩を立て直した上杉鷹山(一七五一~一八二二)。江戸時代屈指の「明君」として知られる彼が目指したのは、何のため、誰のための政治だったのか。改革を担った家臣たちの思想と行動、また鷹山明君像の形成を新たな角度から描き出し、その改革を日本の歴史に位置づける。
内容説明
半世紀に及ぶ粘り強い取り組みによって、窮乏する米沢藩を立て直した上杉鷹山(一七五一~一八二二)。江戸時代屈指の「明君」として知られる彼が目指したのは、何のため、誰のための政治だったのか。改革を担った家臣たちの思想と行動、また鷹山明君像の形成を新たな角度から描き出し、その改革を日本の歴史に位置づける。
目次
序章 上杉鷹山は何を問いかけているか
第1章 江戸時代のなかの米沢藩
第2章 「富国安民」をめざして
第3章 明君像の形成と『翹楚篇』
第4章 「富国安民」の「風俗」改革
第5章 「天下の富強の国」米沢
著者等紹介
小関悠一郎[コセキユウイチロウ]
1977年、宮城県生まれ。2008年、一橋大学大学院社会学研究科修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員PDなどを経て、千葉大学教育学部准教授。専攻は日本近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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breguet4194q
119
上杉鷹山はなぜ「名君」と言われるのか。本書では、数多くのブレーンの行動力と実績を取り上げつつ、その期待に応えた故に、名君になり得たと述べています。「富国安民」を掲げ、自ら一汁一菜や綿衣着用を行い、土民の実情に寄り添います。「伝国の辞」は本当に素晴らしい。政治家が、理想のリーダー像に挙げるのも、よくわかりますね。2022/12/15
佐島楓
59
上杉鷹山は名(明)君として有名だが、具体的にどんな施策を行った人物なのかそういえば知らないなあと思って読んでみた。鷹山公のふるまいもさることながら、彼の周りのブレーンがしっかりしていたから藩の財政環境の安定につながったようだ。福祉の部分を充実させることで「富国安民」を実現させたという点、現代でも参考になるはずなのだが。2021/03/25
ころこ
34
名君録にあるような逸話ではなく、歴史的資料による実証性から上杉鷹山の実像に迫ろうとする新書。しかし鷹山がなぜ歴史に残ったかは、分かり易い言行録があったからなので、それを抜きに読むのはそもそも何が凄いのかが分かり難い。本書には二つ特徴がある。ひとつ目は、米沢藩の改革を属人的な鷹山本人ではなく、鷹山を教育し彼の治世を支えた周囲の人たちに焦点を当てていることである。鷹山に教育を与え、前期の明和・安永の改革を担った竹俣当綱、後期の寛政改革を担った莅戸善政、莅戸政以の親子など、鷹山の万能さよりも周囲への影響力と、そ2023/03/10
崩紫サロメ
19
米沢藩主上杉鷹山を扱ったものであるが、戊辰戦争の敗者である鷹山の改革が、明治期に「富強」を実現した国として高く評価されており、本書は近代におけよる富強、つまり富国強兵との相違に着目する。鷹山にとっての富強とは「富国安民」であり、儒学的な民本思想に基づく。幕末の米沢潘見聞録に見られる富強のあり方も、軍事力の近代化とはほど遠い、農民的・商人的なものである。近世の「富国」論を通して、近代の富国論を問い直すという形。2021/02/19
だまし売りNo
15
質素倹約を掲げる藩政改革が抵抗に遭うことがある。抵抗の理由は名門意識である。当家は伝統ある名門名家であり、名門には格式が必要という論理である。例えば米沢藩上杉家は15万石であるが、上杉景勝時代の120万石の大藩意識が抜けきれなかった。2021/07/22