内容説明
「牛方節」「斎太郎節」「新相馬節」…。土地に生まれて根づいた唄に、人々はどんな思いを込めてきたのか。時代を経て人々に口ずさまれる中で、唄はどのような変容をとげてきたのか。詩人が、津軽三味線の二代目高橋竹山とともに、東日本大震災の直後に被災地の村々を行脚した稀有な旅の記録。
目次
津軽三味線のほうへ
瓦礫の下の「八戸小唄」
初代高橋竹山の秘法
西も東も金の山―牛方節(南部牛追唄)の故郷(1)
移動し流入する歌詞―牛方節(南部牛追唄)の故郷(2)
初代竹山受難の地を歩く―被災地・野田村(1)
地震と呪文―被災地・野田村(2)
「遙か彼方」をどこから見たか―「新相馬節」(1)
手拍子から生まれる民謡―「新相馬節」(2)
昭和初年代の音頭ブームに乗って―「会津磐梯山」
湾の内と外―「斎太郎節」(1)
松島の月と唄と酒―「斎太郎節」(2)
ツガル三味線の彼方へ
著者等紹介
佐々木幹郎[ササキミキロウ]
1947年奈良県生まれ。詩人。同志社大学文学部中退。詩集『蜂蜜採り』(書肆山田、高見順賞)『明日』(思潮社、萩原朔太郎賞)など。著書『中原中也』(筑摩書房、サントリー学芸賞)『アジア海道紀行』(みすず書房、読売文学賞 随筆・紀行賞)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
293
震災後、半年を経た2011年9月に詩人の佐々木幹郎氏と二代目高橋竹山さんとが、大船渡を皮切りに被災地を巡った旅の記録。各地に伝承される民謡の現在と過去を探り、また初代高橋竹山のエピソードを語る。さりげなく語られているが、例えば新相馬節に歌われる「遥か彼方は相馬の空かヨ 相馬恋しやなつかしや」は、未だに故郷の相馬に帰還できない人々にとっては皮肉な現実となってしまった。東北の歌が、ことさらに故郷の生活と密接であるだけに哀しくもあり、またそれゆえにこそ今、いっそうの重みをもって迫るものであるかも知れない。2016/10/18
新地学@児童書病発動中
110
詩人の佐々木幹朗氏が津軽三味線演奏者の二代目高橋竹山さんと、震災直後の東北をまわって民謡のライブや詩の朗読を行った時の記録。民謡は単に鄙びた歌ではなく、その土地で生まれて死んでいった人たちの魂の叫びであることが分かる内容だった。潰れた家の下で一生懸命に民謡を歌っていたお年寄りのエピソードが一番心に残った。心の底から湧き上って来る想いを率直に力強く歌うものが民謡で、私の好きなアメリカのソウルとの共通点を感じる。震災で打ちのめされた人々の心に寄り添おうとした著者の詩人としての姿勢に感動した。2015/05/10
Mijas
46
「新相馬節」は他の東北民謡と違うという。著者の言葉が心に響く。「この唄のように、空を見上げながら、あるいは遠くを見やりながら、声を上げてみたいと思う。」陰旋律の節回しに、悲しさと愛しさ、深々とした抒情が漲る。それは生きるための唄だった。「辛いときには唄をうたう。唄はそのためにある。」最後の「登楽遊原」の一節も心に残る。また印象的だったのは、二代目高橋竹山の話。「客に笑われないと芸は上達しない」と初代に舞台で怒られ続けたと言う。初代の津軽三味線をネットで聴いてみたが、その圧倒的な存在感は想像以上だった。2017/05/12
壱萬参仟縁
25
津軽三味線に独奏曲を作り、新しい音楽を開拓した高橋竹山(1910~98年、2頁~)。リアス海岸のリアスは、スペイン語のリアから来ていて、語源はリオという川。入江、潮入り川(16頁)。イチエフからの放射能が広がり、会津若松市に避難。各種連峰が放射能をブロックして、拡散や降下を遮ることができた。大熊町、楢葉町、浪江町からも避難してきたという(144頁)。津軽民謡の父=成田雲竹(1888~1974年、193頁)。2014/12/09
yamahiko
18
先日、荒磯忌で氏の詩作の秘密の一端に触れることができました。五十年前に荒ぶる魂を絞り出すように言葉と格闘した詩人による、土地と人が産み出す唄と三味線の響きが聴こえてくるような、紀行文でした。2019/08/03
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