内容説明
日本の食文化の名脇役、かつお節。かつては北海道から沖縄、植民地支配下の台湾、ミクロネシア、そして、オランダ領だったインドネシアでも生産されていた。この三〇〇年に、かつお節の生産はどう変わったのか。生産にたずさわった人びとの生活はどう変わったのか。現地調査で証言を集め、“かつお節ネットワーク”のダイナミズムを描く。
目次
第1章 かつお節は日本の伝統か―たどってきた道
第2章 南洋に向かった沖縄漁民―明治から敗戦まで
第3章 大衆化するかつお節―変わる産地と生産方法
第4章 赤道直下の一大産地―インドネシア・ビトゥンの八〇年
終章 つながりあうかつお節ネットワークと私たち
著者等紹介
宮内泰介[ミヤウチタイスケ]
1961年、愛媛県生まれ。91年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、北海道大学教授
藤林泰[フジバヤシヤスシ]
1948年、山口県生まれ。72年、早稲田大学法学部卒業。現在、埼玉大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
kinkin
104
普段直接食べることのないカツオ節。生産と生産者ネットワークについて書かれている。まず戦前から日本の統治下であった南方の島々でかつお節が作られていたことを知った。日本から教育者が出向き加工方法を指導していたという。島々だけあってカツオを獲るための餌の入手にも都合が良かったようだ。また日本国内でのカツオ節づくりについても言及されていた。今でも当たり前のパック入りカツオ節のこと、カツオ節という形から調味料として流通されることも多くなっているという。カツオ節という題材でこんなに深い本と出会えて感謝。図書館本2021/01/09
寝落ち6段
19
60代の母が、子供の頃は家で削っていたと言う。削られた鰹節が売られるようになったのは、革命的な出来事であったのが伺える。私たち日本人は、出汁を重視し、小学校の家庭科でも味噌汁を作るときには、出汁をとる。遺伝子に刻み込まれた鰹節の歴史、外国との関わり、作り手の思いについて知れる。資本主義の中で価格競争を避けられないが、それでもそれでも本当に良いものを残していくことも考えなければならないと思った。現在を生きる我々が、鰹節を含め連綿と続く文化を享受できるのは、こういった歴史的背景と人々がいるからなのだ。2025/10/18
浅香山三郎
17
生活文化史でもあり、近現代史でもあり、民族誌的でもある好著。土佐、沖縄、南洋、インドネシアといつた地域が、かつおぶしと日本の近現代史の歩み、食生活の嗜好の歩みと交差する。文字だけでは分からない人びとのうごきについても興味深く、示唆に富む。2018/05/03
メタボン
13
☆☆☆☆ 鰹節の主要産地はてっきり高知だと思い込んでいたが、枕崎・山川(指宿)・焼津だったということを初めて知った。ビトゥンなどインドネシア近海での鰹節をめぐる日本との結びつきが、太平洋戦争の頃に盛り上がり、敗戦により幾多の悲劇とともに消滅。そして今再び日系2世・3世の手により隆盛してきているということも、全く知らなかった。鰹節の生産量が右肩上がりで増え続けている背景に、「削り節のパック化」「塩分を控える趨勢」があるということも興味深い。知的好奇心を満たす新書らしい良書だった。2014/09/04
sibasiba
12
南洋に進出する漁師たちの話がメインで思ってのと違った。かつお節は薪が必須だとかは意外。確かに香りのためにはガスはダメなのは想像つくけど。削り節パックを今普通に使っているが、元の硬いのなんて見たこともない人が多いと思う。2014/01/28




