出版社内容情報
「老いたら私はどうなるのか」,誰もが感じる不安である.だが先例のない超高齢化社会とは,裏返せば,人類にとって未知の,広大な可能性ではないだろうか?〈私〉を歌う文学である短歌にそのヒントを求め,〈老い〉という新たな生の豊かさを探る.引用される多数の「老いの歌」は,老若男女の心を鮮烈に惹きつけるだろう.
内容説明
「老いたら私はどうなるのか」、誰もが感じる不安である。だが先例のない超高齢社会とは、裏返せば、人類にとって未知の、広大な可能性ではないだろうか?“私”を歌う文学である短歌にヒントを求め、“老い”という新たな生の豊かさを探る。短歌はもはや“青春の文学”ではない、老いの文明を生きる私たちの力強い伴侶である。
目次
序 老いの発見
第1章 老いの時代へ(相聞と挽歌を超えて;茂吉『つきかげ』問題;急増する高齢歌人)
第2章 老いの百景(老いの時間―身体・病・労働・食;悟れぬ、悟らぬ―うずまく感情とエロス;“戦後”を生きながら―戦争の記憶、死者への思い;砦としての家族―親子、夫婦、そして…)
第3章 “老い”というフロンティア(いくつもの“私”;名歌を超えた世界;口語調のもつ力)
著者等紹介
小高賢[コダカケン]
1944年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。編集者として、馬場あき子に出会い、「かりん」創刊に参加。現在、選歌委員。現在、歌人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネギっ子gen
47
【先例のない超高齢社会とは、裏返せば人類にとって未知の可能性ではないか】「私」を歌う文学である短歌にヒントを求め、「老い」という新たな生の豊かさを探った新書。2011年刊。<「老いの歌」のもっている豊饒さは短歌という詩型に新しいエネルギーを注入するのではないだろうか。短歌を楽しみ、生きがいを感じている人々だけでなく、若い歌人にも刺激を与えるのではないか>と。【老い初めしこの胸底の漠(ひろ)さをば何に喩へて子らに告ぐべき(宮柊二『獨石馬』)】<初めての経験なのだ。老いの内側はそれほど単純ではない>と―― ⇒2025/02/11
Maiラピ
20
短歌をフィルターとして“老い”への考察。これもブックレビューでのおススメの一冊に紹介されなかったら、たぶん手に取らない本。“老いるということはいったい何を人間に加え、何を人間から奪い去るのであろうか。”超高齢化社会の日本、高齢者や介護のハウツー本は巷にあふれている。でも老いていく本人の心境は如何ばかりのものか。とても興味深い内容でした。これから高齢者文学っていっぱい出てくるんだろうな。白髪や老眼等の “老い”が気になるお年頃の方におススメかも?(^_^;)2011/12/17
mawaji
5
週刊ブックレビューで俳優の篠井英介さんご推薦。夭逝した歌人の多かった近代と異なり、超高齢化を迎えた現代の短歌を読み解きながら「老い」とは何か、「老い」に対する心構えや「老い」の受け入れ態勢など指南してもらっているような気持ちで読み進みました。老け込んでいるつもりはないけれど、最近腰痛もしだしてちょっと気弱になっていたのか、短歌の素養はなくてもすんなりと受け入れられました。「よるべなき心細さよ電話してみようか。いないな乞ふな求むるな 宮英子」「往復の切符を買へば途中にて死なぬ気のすることのふしぎさ 斎藤史」2012/01/28
zumi
4
冒頭に肉親が老いてしまったときの歌が二首 その一首 <わが父は三つの赤子になりたまひ顔くしゃくしゃにいやいやをする>(小島ゆかり) 89歳で亡くなられた作者の母上も、晩年は日常生活が覚束ないくらいだったが、ときおりの発言は哲学的であったりしたそうだ。 作者に関しては 2014年に69歳で他界しておられた。 <われに来る遠からず来るこの世から魂(たま)うき上がり離陸するとは> 小高賢2025/03/02
壱萬参仟縁
4
高齢社会の研究は、マイナスですら成長という矛盾した表現で経済で語られる世界とは異界に見える。小倉康嗣先生の社会学を想起する。また小林照幸氏の文春新書は性的な話題だった。こうした本を比べて読むと日本の没落する社会を予言した森嶋通夫先生の岩波書店の本の意義精彩を放つ。他人に頼る術のない無縁、孤独、SNEPの無業ひきこもり、生活保護、年金、そして生き甲斐と、思い巡らせる世界。社会問題に潰されない余生どうつくれるか、歌の引用から考えさせられる。2012/08/20