出版社内容情報
新憲法制定、女性参政権、教育の民主化など一連の戦後改革は占領政策によるものとされてきた。しかし、その原点は、総力戦時代から継承したものの中にある。占領開始から五五年体制の成立までの十年を斬新な視点で描きだす。
内容説明
新憲法の制定、婦人参政権、教育の民主化、農地改革、財閥解体など一連の戦後改革は、占領政策によるものとされてきたが、本当にそうなのだろうか。改革の原点は占領政策ではなく、総力戦時代の社会から継承したものの中にあった。占領開始から五五年体制成立までの戦後一〇年を斬新な視点で描きだす。
目次
第1章 戦後国際体制の形成と日本の敗戦
第2章 非軍事化と民主化
第3章 新憲法の形成へ
第4章 政党勢力と大衆運動
第5章 中道内閣の展開と自由主義派の結集
第6章 戦後体制の形成
著者等紹介
雨宮昭一[アメミヤショウイチ]
1944年山梨県に生まれる。1973年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。茨城大学教授を経て、獨協大学法学部教授。専攻は政治学、日本政治外交史、地域政治論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ステビア
22
戦前と戦後の連続性2022/04/14
きいち
22
成功した占領という物語への疑い。今読んでおいてよかった本だ。◇戦後を切り拓こうとする日本の指導者たち、とはいえ一枚岩じゃない、それぞれの(ここでは4つの潮流としてあらわれる)考える姿を、占領軍を所与の条件として実現して行こうというせめぎあい。◇日本側にある程度の決定権を渡していた占領軍が最も強く拒否したのは「天皇の自主的退位」ではないかと感じた。責任を取ることなど許さぬ、と。◇敗戦前からの先を見越しての準備。それも必要だろうし尊敬に値する。でもその同じ時、補給を絶たれ生死の境を彷徨っていた者の姿が浮かぶ。2014/02/24
fseigojp
13
戦前の東條・岸と近衛が路線が違いつつも戦争推進派だった 自由主義と皇道主義は反戦だった 前者は大きな政府 後者は小さな政府を志向 近衛の昭和研究会が目指した協同主義が戦後左翼の一翼となったという2020/08/26
壱萬参仟縁
13
日本の降伏のタイミングは適切だったのだろうか。もっと早く手を打てたのではないか。犠牲者が多すぎるのだから。アメリカの占領で、結局、今は原発収束しない放射能ダダ漏れや基地問題で長年、迷惑を被ることになってしまった。43頁の敗戦後の日本の子供と、今の少子化で放射能被害に遭う子供と、ともに、その表情は晴れない。子どもらしい快活さを奪ったのは、戦争や原発である。戦後、島国らしく先進国などにならずとも、中進国でもいいので、昔の中流社会が機能していた方が、今の格差社会のようにより、少子化に拍車がかかるよりはマシでは。2013/08/03
coolflat
11
敗戦は広島・長崎への原爆投下とソ連の満州への進攻が決定的だと言われるが、著者は反東条連合の勝利によって敗戦を可能とする政治潮流が主導権を持っていた事が決定的であったという。ポツダム宣言を受諾するのは鈴木内閣であるが、その前の小磯内閣(東条内閣総辞職後の1944年成立)の段階で既に人的構成は、国防国家派(東条派)から、自由主義派(若槻、岡田、米内)と反動派(平沼)、つまりは反東条派が多数を占めていた。これは日本の占領が間接占領だった事にも繋がる。ドイツは中央政府が存在しなかったため、米ソ英仏直接占領だった。2016/03/16