内容説明
明治日本には、民主主義の思想と運動の豊かな蓄積があった。「主権在民」論と「議院内閣制」論の間のせめぎあいの中で、それはどう深まり、挫折していったのか。また後の時代に何を遺したのか。福沢諭吉、植木枝盛、中江兆民、徳富蘇峰、北一輝、美濃部達吉らの議論を読み解きながら、日本の現在の姿をも照らし出す刺激的な歴史叙述。
目次
第1章 士族と農民の結合
第2章 参加か抵抗か
第3章 分裂と挫折
第4章 束の間の復活―大同団結運動
第5章 「官民調和」―明治憲法体制の定着
第6章 継承と発展―「大正デモクラシー」へ
著者等紹介
坂野潤治[バンノジュンジ]
1937年生まれ。1963年東京大学文学部国史学科卒業。東京大学名誉教授。専門は日本近代政治史
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感想・レビュー
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coolflat
16
ⅱ頁。「主権在民」の思想は1945年の敗戦によって生まれたものではない。1880年には、この思想は国民的運動の一角を支配していた。また、自由民主党の一党支配に対抗する、政権交代を伴った議院内閣制の主張も、最近初めて生まれたものではない。それは1879年には明確な形で定式化され、1932年まで、民主主義論の有力な一角として存在し続けたのである。民主主義の発達とは、連続的、累積的なものである。歴史の中の孤島のように、自由民権運動があり、大正デモクラシーがあり、戦後民主主義があったわけではないのである。2023/07/04
Hatann
6
近代日本が市民革命などではなく上からの改革によって形成されたと言われるが、日本にも明治時代より下からの民主化の努力が継続されたことを説明する。自由民権運動ののちに成立した大日本帝国憲法の内容を真面目に読むと面食らう。なんでこうなるのと。本書では、自由民権運動においてはイギリス流の議院内閣制、ルソー流の人民主権的な国会観もあったことが説明され、日本も選択次第で別の歴史がありえたことを感じる。他方、明治以来の個々の運動は継承されてきたものではなく、民主化のうねりも日本国民の機軸として作動していなかったようだ。2019/02/11
politics
5
植木・中江らの主権在民論と福沢・徳富らの二大政党制論とを明治デモクラシーと定義し、その後の大正・昭和、戦後民主主義の原点とした一冊。著者はこの明治デモクラシーを高く評価するが現実政治的にはどうなのだろうか。また福沢と徳富の共通点を見出しているがそれは本当に妥当な評価だろうか。著者は保守派を評価していないが、三宅や陸といった日本主義の思想家も考察すべき点はある気がするが。思想研究者ではなく近現代史家による斬新な評価は面白く、後年に出版された松沢氏の戊辰戦後デモクラシーとの比較すると新発見が得られるだろう。2023/09/04
rbyawa
3
h045、時系列によって議会記録、雑誌発表などを並べた体裁であくまでもその解釈に関してを個人の意見、というスタイルをどこかで見たことあると思ったらあれですね、歴史書に頼れない中世史と似たやり方だこれ。個人的には近代史においては異様なバイアスがあるので(人によって幅があんまりありすぎる)、資料がない限りつなげない部分が出るとしても出ている部分は信用が出来るのでありがたいかなぁ、こういうのは。福沢氏の理論があまりに新しすぎるというのはさすがに同意、まあまず歪みはそこからだったのかなぁ、この人の蘇峰論見たいね。2017/07/10
那由田 忠
2
いろいろ新しい視点で政治史を見直すのは賛成なんだが、戦後民主主義の中で生まれた誤った政治理論と、戦後政治史のアナロジーで整理をしようとする無理が多すぎる。中江兆民もルソーも植木枝盛も、原典に当たると坂野さんのまとめが全くデタラメなのには愕然とする。中江兆民は「国会論」の中で二大政党制を語ったのではなくて、単に与野党の対立による政権交代論を主張しただけ。植木枝盛も大同団結運動に頑張っているのに、徳富蘇峰ばかりで説明したりと、かなり乱暴な研究だ。北一輝の話も信用できそうにない。2012/09/23