内容説明
「荒城の月」や「箱根八里」「お正月」で知られる作曲家・滝廉太郎は、外国歌曲に学びながら日本の近代音楽の扉を開いた。「国楽」創造の旗手としての格闘、ドイツ留学の実現と失意の帰国、そして絶筆となったピアノ曲「憾(うらみ)」にあふれる激情…。その病魔に断ち切られたわずか二三年余の悲運の生涯を、没後一世紀の今、克明に描く。
目次
序章 二〇〇三年夏、ライプツィヒ―滝廉太郎歿後百年記念碑
第1章 絶筆ピアノ曲『憾』の衝撃音―哀しき白鳥の歌
第2章 洋楽草創期の申し子―音楽取調掛から東京音楽学校へ
第3章 新しい“音楽師”を志して―音楽学校の俊秀
第4章 歌曲作曲家デビュー―多様な作品宇宙の創造へ
第5章 外国歌曲に学びながら―異文化摂取の営み
第6章 稀有な日本歌曲の創造―『四季』の境域
第7章 “国楽”創造の旗手として―子供たちを音楽の楽園へ
第8章 永訣のソナタ―声音とピアノに託して
終章 『荒城の月』その後―変貌の受容史
著者等紹介
海老沢敏[エビサワビン]
1931年東京に生まれる。1955年東京大学文学部卒業。専攻は音楽美学・音楽史。現在、新国立劇場副理事長
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感想・レビュー
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Hiroki Nishizumi
4
あまり馴染まない世界観からか今ひとつ消化出来なかった… 明治初期にライプツィヒ音楽院留学を果たしながら、二ヶ月弱で病魔に倒れ挫折、その後二十三歳で無念の夭折。若き才媛はその生涯をどう感じていたのか…2012/03/07
ハイサイおじさん
2
夭折の音楽家、滝廉太郎の業績をまとめた新書。かなり凝った構成であり人生そのものをつらつら語っていくような叙述ではないため先に滝の人生をある程度知っておく必要があるが、彼の音楽性や取り巻く時代の有様が深掘りされている。 また、山田耕筰による「荒城の月」”編曲”の逸話には、色々と思わされるところがある。2017/05/07
キミコ
2
いまいちようわからんかった2011/02/02
i-miya
2
ドイツ留学と失意の帰国 ピアノ曲『憾み』 病魔 序章 2003夏 ライプツィヒ バッハのほかに メンデルスゾーン 音楽院 音楽演劇大学 フェルディナント・ローデ通り 止宿した民家 七番他 ≪ 瀧廉太郎碑の除幕式 ≫ 21歳、当時 23歳の死亡 2003年6/29は100年目 メンデルスゾーン設立の音楽院留学 結核で無念の帰国 メンデルスゾーン 1835 ゲヴァントハウス管弦楽団指揮者 1843 音楽院創設 ≪ バラは瀧廉太郎記念館の庭に ≫ メンデルスゾーン記念館 竹田市瀧家に移植2008/09/23
悸村成一
1
原作「荒城月」を山田耕筰が編曲した( 「荒城の月」 )際、#を一つ削除した話など、興味深い。……。図書館本。592017/02/27
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