出版社内容情報
広い国際的視野と自由主義をもって軍閥に抵抗した稀有の人物の評伝.時代が1つの方向に流されていく時,それに歯止めをかけられるバランス感覚をもった政治家として,また学問に造詣が深い文化人としても興味深い.
内容説明
フランス留学で培われた広い国際的視野と自由主義をもって、軍閥支配に抵抗しながら、明治から昭和まで長期にわたって権力の中枢にいた政治家の評伝。時代が一つの方向に流されていく時、それに歯止めをかけられるバランス感覚をもった稀有の政治家として、また和漢洋の学問や詩文に造詣が深い文化人としても興味ぶかい。
目次
1 青年公卿の明治維新
2 フランス留学
3 新知識人として
4 外交官としての経験
5 政治家として登場
6 立憲政友会総裁
7 いわゆる「桂園時代」
8 非藩閥元老の道
9 国際主義と皇室至上主義
10 戦争とファシズムに抗して
11 逆風の晩年
おわりに―失敗に学ぶ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kawa
39
郷土の作家・臼井吉見氏が晩年に書きたい人物として西園寺を挙げていたという。公家として戊辰戦争参加、10年に及ぶフランス留学、伊藤博文腹心としての政治家生活、最後の元老として大正・昭和天皇の輔弼等を見ると、確かに激動の明治、大正、昭和を描くのには好適な人物。後に軍部の独走を許す原因となる1907年「軍令に関する件」(内閣・議会を通さず軍部が統帥のための法制定が出来る制度)や1928年張作霖爆殺事件首謀者に対する曖昧な処置、市民の議会包囲により打倒された桂内閣の事件等(大正政変)が個人的な読みどころだった。2021/05/04
禿童子
39
西園寺公望は19歳で戊辰の役に出陣し、長岡の戦で自ら銃を取って戦った。フランスに10年留学したときは急進共和派のアコラースやクレマンソーと交際。中江兆民ら留学生仲間と帰国後「東洋自由新聞」を創刊し、社長になるも明治天皇の内勅で辞めさせられる。明治天皇の遊び仲間という門地と、英米仏と協調しなければならないというリベラルの信念を兼ね備え、元老として天皇の相談役と総理大臣の推薦を行う稀有な政治家を生んだことに驚嘆するが、軍と大衆の前には無力だったのだろうか。日米開戦の1年前に91歳で没したのは象徴的に思える。2020/01/12
午睡
10
元老として知られる西園寺公望の評伝。というより、西園寺が生きた時代の政治過程を分析した史書というべきか。明治憲法下における内閣のありようが、衆議院・貴族院ばかりか枢密院という第三の院にも規定され、法制上の根拠をもたない元老なる存在にも掣肘されていたことがよくわかる。そればかりか陸海軍は天皇に直接上奏することも可能( 帷幄上奏という)で、この制度が内閣も知り得ない秘密の軍勅を生み、軍の暴走を許したという。こうした政治過程にあって、摂家に次ぐ名門の公家であった西園寺公望がどのように生きたかを描き出している。2020/06/23
ジュンジュン
8
1849年から1940年まで生きた西園寺公望は、近代日本史そのものだ。決して主役ではないが、キングメーカー(元老)を演じたり、第一級の史料を残したり(書いたのは秘書だが)。本書に関しては、従来抱いていた西園寺像(天皇主義「名門公家出身」と共和主義「フランス留学」の融合)から逸脱するところはなく、目新しさには欠けるものの、これまでのイメージを発展踏襲している。2019/10/09
きさらぎ
7
名門公家として幼少時には明治帝の遊び相手を務め、19歳時には戊辰戦争で皇室の旗印として会津征討軍の大参謀となって薩摩の黒田や長州の山縣ら参謀の上にあり、維新後はフランスに10年近く留学して学位を取った。帰国後はその法律と欧州知識を見込まれて伊藤博文の政治人脈に組み込まれ、後に政友会総裁としては原敬と歩調を合わせもした。侍従長を務めた徳大寺実則は実兄である。昭和15年に91歳で死去するまで、漢籍と仏書を愛し、世界を知り、鋭すぎる洞察力を持つ功名に恬淡たる知識人が、激動の時代に政治家としてどう生きたかを描く。2017/09/13