出版社内容情報
専門性を持った科学者が市民の立場で行動することは可能なのか.長年にわたって核問題に取り組み,反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が,自分史をまじえつつ自立した科学者として生きることの意味を問う.
内容説明
専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。
目次
序章 激変のなかで
第1章 敗戦と空っ風
第2章 科学を志す
第3章 原子炉の傍で
第4章 海に、そして山に
第5章 三里塚と宮沢賢治
第6章 原子力資料情報室
第7章 専門家と市民のはざまで
第8章 わが人生にとっての反原発
終章 希望をつなぐ
著者等紹介
高木仁三郎[タカギジンザブロウ]
1938年‐2000年。1961年東京大学理学部卒業。日本原子力事業、東京大学原子核研究所、東京都立大学などを経て、1975年に原子力資料情報室の設立に参加し、86年から98年まで代表を務める。1997年ライト・ライブリフッド賞受賞
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感想・レビュー
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kinkin
101
先日読んだ佐高信の『時代を撃つノンフィクション100』で紹介されていたので読んだ。著者高木仁三郎の自叙伝と氏が原発関連企業で働くことになるも後年原発のあり方や核の怖さについて疑問を持つ。その後市民科学者として反原発運動に参加してゆく。氏の信念が感じられる本だった。途中、宮沢賢治の言葉「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」の大きな衝撃を受けたと書かれていた。様々な出来毎に体制側という面があれば必ず御用学者がいるものだ。氏はその逆、われわれに必要な科学を追求した人だと感じた。2021/05/09
やまやま
15
強情でちょっと怖い人でもあったが、誠実に生きようとする姿勢はまぎれもなく信念の人であった。人生の選択は上手とは言えないが、上手に生きることがどれほど意味があるのか、という意味で原子力発電の問題に一生をかけた著者には自然と頭の下がる思いである。学者と活動家の分業を時計と金槌にたとえた武谷三男氏から行動に性急な著者はたしなめられるが、ここでも著者は両立を主張し、原子力政策研究と市民運動に並行して取り組む。脚光を浴びるにつれ、著者の周りで不審な事件が増えていったが、原子力ムラの奇怪さは非常に息苦しく思えた。2020/10/19
makio37
9
専門家と市民のはざまで苦闘し反原発に奔走した著者が、もし生きて福島第一の事故(事件)を見たならば…とやはり想像してしまう。「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」は程度の差こそあれ自らを「市民」と任じる人すべてのテーマだと思う。終章はじめに引用される「「シカタガナイ」をあなたの辞書から追放すること」や、著者に贈られた「本気でしていると/誰かが助けてくれる」等の言葉も胸にくる。一方で反○○運動の持つネガティブさに悩む姿も印象に残った。2015/03/01
Akiro OUED
8
理想主義者を自認する著者は、未来に希望をと訴える。同感だが、矛盾も見える。無害な原発を建設するとか、マンションにトイレを作るとかも『希望』の一形態だよ。こっちの方面には、『絶望しかない』と切り捨てるためには、科学じゃなくて哲学を持ち出すことになる。求む、市民哲学者。佳書。2020/07/25
takeapple
7
高木先生のような人が、国の原子力行政のトップになるべきだ。2011/10/10