出版社内容情報
かつて,この国に「恋愛」はなかった.「色」や「恋」と区別される“高尚なる感情”を指してLoveの翻訳語がつくられたのは,ほんの一世紀前にすぎない.社会,個人,自然,権利,自由,彼・彼女などの基本語が,幕末―明治期の人びとのどのような知的格闘の中から生まれ,日本人のものの見方をどう導いてきたかを明らかにする.
1 ~ 1件/全1件
- 評価
本屋のカガヤの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
75
社会/個人/近代/美/恋愛/存在/自然/権利/自由/彼の10の翻訳語の成立事情が詳しく考察されている。最初の6つは新造語であり、後の4つは従来の日本語に新しい意味を与えたもの。ありのままの自然をnatureの訳語に、我儘勝手の自由をfreedomの訳語とする矛盾が、新たな概念を生み出してゆく面白さがある。言葉に拘ることは、正に、概念を深く哲学することである。その意味で、森鴎外と福澤諭吉の感性が傑出していたことを知る。外来語をカタカナのまま受容する現代人が失ったものの大切さを再認識させてくれる一冊である。2021/02/07
ネギっ子gen
52
【「社会」「個人」「美」「恋愛」などは、翻訳のために造られた新造語】翻訳語が、幕末~明治期のどのような知的格闘の中から生まれ、日本人のものの見方をどう導いてきたかを明らかにする書。岩波新書黄版。1982年刊。<学問・思想の基本用語が、私たちの日常語と切り離されているというのは、不幸なことであった。しかし、それには漢字受容以来の、根の深い歴史の背景がある。他面から見れば、翻訳語が日常語と切り離されているおかげで、近代以後、西欧文明の学問・思想などを、とにもかくにも急速に受け入れることができたのである>と。⇒2025/04/17
Nobu A
19
柳父章著書2冊目。82年初版、08年第31刷。前著同様、小難しく綴る措辞が若干苦手。でも、改めて言葉は生き物だと感じる。「社会」「個人」「恋愛」等、海外から入ってきた表現を知的格闘を通してどのように浸透させたか歴史的背景と共に俯瞰。これらの表現が入ってこなければ日本社会はどのように変容したのだろうかとも思う。ただ、現在は共通認識も確立し「そうだったんだ」って感慨深いだけ。ネット全盛の今、プラットフォームやデータベース等、安易なカタカナ語が溢れている。明治時代の翻訳魂はどこに行ったのだろうか。流し読み読了。2022/11/14
ネムル
16
幕末から明治初期にかけて社会、個人、近代という言葉がどのように生まれ、定着していったかを紐解いた作品。すこぶる面白い。特に繰り返し言及され、翻訳語と格闘したのが福沢諭吉だ。彼は安直に「四角張つた文字」を使わず、文章・ことばの組み立てを工夫することで、文脈上の新しい関係を作り出そうとする。一方で言葉の、翻訳のはらむ危険性も繰り返し強調される。例えば自由などの語が、意味内容が抽象的なままに定着してしまうことで、意味内容が乏しいにも関わらず漠然と肯定的に解釈され、当時盛んに乱用されたという。2017/01/28
Saiid al-Halawi
14
「かつて、societyということばは、大変翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったいうことは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。」(p.1) あと本書では紹介無いけど「議論」なんかもこの範疇。供給元である西欧とのレアリアの差異をこれでもかってくらい感じることが出来る1冊です。2013/04/08
-
- 和書
- 盂蘭盆経を読む