出版社内容情報
米軍の核兵器をふくむ前進基地として,朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に,日本および日本人から放置されつづけてきた沖縄.そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい.沖縄をくり返し訪れることによって,著者は,本土とは何か,日本人とは何かを見つめ,われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす.
内容説明
米軍の核兵器をふくむ前進基地として、朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に、日本および日本人から放置されつづけてきた沖縄。そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい。沖縄をくり返し訪れることによって、著者は、本土とは何か、日本人とは何かを見つめ、われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす。
目次
プロローグ 死者の怒りを共有することによって悼む
1 日本が沖縄に属する
2 『八重山民謡誌』’69
3 多様性にむかって
4 内なる琉球処分
5 苦が世
6 異議申立てを受けつつ
7 戦後世代の持続
8 日本の民衆意識
9 「本土」は実在しない
著者等紹介
大江健三郎[オオエケンザブロウ]
1935年、愛媛県に生まれる。1959年、東京大学文学部フランス文学科卒業。現在、作家
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
356
1963年の『ヒロシマ・ノート』、そして1970年の本書。これらの2冊は大江健三郎の中で深く通底する。すなわち、その1は、大江がそして私たちが戦後世界をどう引き受けるかということにおいて。そして、その2は(1とも関連するが)「核」以降の世界にどのように向かい合うのかという意味において。それがヒロシマと沖縄が私たちに突きつける問いである。大江は真摯にそれに応えようとする。「このような日本人ではない日本人へと自分をかえることができないか」と煩悶し続けながら。核戦略において日本はアメリカの防波堤(=捨て石)⇒2023/06/22
J D
88
出会うべきして出会った本だと思った。第一章「日本が沖縄に属する」最終章「「本土」は実在しない」を読むと唸る。半世紀以上前戦後25年頃まだ沖縄はアメリカ統治下にあった時代に書かれたもの。沖縄に住んて1年経つが、読んで唸ることしかできなかった。胸に突き刺さることだらけで、日本人とは、自分のアイデンティティはとか、考え込んでしまう。「本土」「内地」が持つ言葉の意味を知れたことは大きい。観光地化した沖縄はこれからどこに向かうのだろう。7月には北部に巨大テーマパークができる。もう一度時間を置いてから読みたい。2025/03/16
Shoji
55
沖縄戦が1945年、この本の上梓が1970年、沖縄返還が1972年。で、今2016年。 戦前も戦中も戦後も政治家(軍隊を含む)は卑怯だ。 犠牲を払うことは全てを沖縄に押し付けてきた。 沖縄をめちゃくちゃにして来たのは北緯27度線より北の住人だ。 それは今でもそうだ。 今でも北緯27度線より北の安全な場所に身を置き、好き勝手なことを言っている。 好き勝手でいいから、お願いだから、不幸なことは20世紀で終わりにして下さいね。 1970年に大江健三郎はこんなことをこの本に書いていた。2016/07/08
おさむ
48
1972年の沖縄返還直前の現地及び本土の社会の空気を伝える論考集。哲学的かつ文学的ながら、この問題にたいする大江氏の「熱い思い」が感じられます。戦後70年たった今も「限りない異議申し立て」が続く沖縄。差別や貧困、米軍基地等多くの苦しみや痛みを埋め込んできたその現代史。知らない登場人物も多く、自らの勉強不足を恥じるばかりです。2016/01/27
ころこ
46
沖縄の非行少年を船室に誘惑する性的倒錯のアメリカ人というエピソードが出てくる。文意に従えば、アメリカと日本による抑圧と支配の二重構造を告発しているのだが、これが事実関係なのか隠喩なのか、読者はもとより著者の中でもはっきりとはしていないのではないか。今なら、あえて簡潔に書くことで余白をつくり、読者に考えさせることの方がより説得力のある文章になることは誰しもが知っている。他にも不用意なところは多々あるが、これがこの時代の戦い方、考え方であり、いま批判できるのは当時があったからだという前提を忘れてはならない。2025/05/17