内容説明
農村にも民主主義が宣伝されて十数年。だが、果たして村の婦人達の生活は真に本音をはける明るいものになっただろうか。新生活運動の中に形態をかえておおいくる自由への脅威を感ずる彼女達は、複雑な現実を自らの言葉によって新しく民話にうたい、労働の中で語り伝え、生き抜こうとする。村に住む作家が伝える社会の底辺。
目次
蝸牛(中井先生のお話;火には火箸、みみずには塩 ほか)
婦人会との七年(婦人会館でのデザート;グロート女史のメッセージ ほか)
“みてくれ”を逃れて(表彰される村々;家計簿グループ ほか)
錐蛙(“広島人は河原の砂よ”;コンマ以下の力 ほか)
著者等紹介
山代巴[ヤマシロトモエ]
作家。広島県生まれ。1912‐2004年。1931年女子美術専門学校中退(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しゅん
15
です・ます調の、今まさに語り出すような口語体。1958年。民話の収集以上に、著者が農村を回ったり原爆反対運動に加わるなかでの戸惑いや迷いや希望の現れが書かれている。働く人々をポジティブにだけ書くのではなく、狡さやせこさや無気力さについても触れている。共同体的なグループ作りの困難さについて語るところは、具体的に戦って居る人だという印象を与える。酒税をとりにきた役人を、ボケたふりで酒の発見を諦めさせる老婆の話が印象深い。森の奥まで連れて行って、酒ではなく竹を見せる話。2022/12/27
itokake
15
声なき人の声を記録するスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが大好きだが、山代巴は日本のスヴェトラーナのよう。「誰にも言わないでほしい」という相談事をあちこちから聞き、ためこみ、抱えきれなくなり文章に吐き出した。文章にするときには、誰の話かわからぬよう、民話にかえた。その民話を今度は人々に語る時、聞く人は「自分と似たような人がいるものだ」と癒しをもらう。この数カ月、聞き書きの昔話を愛読しているが、その中には明らかに個人の体験談があり、その生々しさが好き。ノンフィクションが好きな人は、民話とも相性がいいと思う。2022/09/08
ポルポ・ウィズ・バナナ
3
これちょっと凄い。フェミニズム系書籍をコーナーで扱ってる書店さんぜったい置いといてほしち。「新憲法になって古い家父長制は否定され(略)ましたけど、それは法文の上だけで、生活習慣の中では、相も変わらず古いままを続けて大事なものを殺しているのでした」「(平和運動にのみ従事して家庭を放置している人たちに対して)私は労働組合や教員組合にも言いたい。足もとの一票はどうしているんですか」「100人の会員を持つ団体がその中の10〜15人ぐらいの人々により運営され他の人々は興味も関心もないといった団体では無意味」2024/07/15