出版社内容情報
営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考.マックス・ヴェーバー(一八六四‐一九二〇)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す.旧版を全面改訳して一層読みやすく理解しやすくするとともに懇切な解説を付した.
内容説明
営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考。マックス・ヴェーバー(1864‐1920)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す。旧版を全面改訳して一層読みやすく理解しやすくするとともに懇切な解説を付した。
目次
第1章 問題(信仰と社会層分化;資本主義の「精神」;ルッターの天職観念―研究の課題)
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理(世俗内的禁欲の宗教的諸基盤;禁欲と資本主義精神)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
molysk
62
近代資本主義の精神の核心である世俗内的禁欲の思想は、プロテスタンティズムの宗教的禁欲の倫理に由来する。カルヴィニズムをはじめとする禁欲的プロテスタンティズムは、世俗における職業を神に召されたものとして、宗教的禁欲を世俗内的禁欲として確立させた。信徒は天職に励んで財を築くも、無駄な消費をせず、結果として蓄積された富は、近代資本主義の基盤となる。時が流れると信仰は薄れ、代わって金儲けが倫理的義務となる。こうして、反営利的な禁欲的プロテスタンティズムは、営利を目的とする資本主義の精神へと変わっていったのである。2021/05/02
ちぃ
43
【再読】初めてこの本を読んだのは大学2年生の時。日本語なのに最初から最後まで何が書いてあるかさっぱりわからなくて辛かった。“一冊の本を理解するためにはその本を読むだけでは十分でない”ということを教えてくれた転機となる本。以来、「自分がどの程度まで来たか」ということを確かめるために、繰り返し読んでいる。今回は「どこがわかってどこがわからないか」がはっきりしたのでそれだけでも大収穫ではなかろうか(笑)宗教改革にまつわる理解が圧倒的に乏しく、でも受容のプロセスと近代資本主義の精神は大分掴めるようになったみたい。2017/02/23
イプシロン
40
(再読)相変わらずブルーな気分にさせられる著作である。ギリシャ哲学とキリスト教が融合され、そこから生まれた禁欲主義が、最終的に資本主義の精神を形成したことが確認できた。その流れで重要なのは、アリストテレスと新プラトン派の思想がスコラ学として神学に応用された部分にあるようだ。もっとも、キリスト教の基本理念である、人間には原罪があり、それは神の贖いによってしか救済されることがないという教義がその根底にあるのであろうが。さて、このような教義を生んだのは一体誰なのだろうか? パウロであろうか? 探求の旅はつづく…2021/05/08
Gotoran
39
池上著書「世界を変えた10冊の本」に押され一読。膨大な脚注が本文を圧倒、翻弄されながら何とか読了。過度の利益優先主義、金儲け社会と化した現代資本主義を見直す一助となり得る本書。聖書翻訳で「天職(Beruf)」という言葉を使ったルター、カルバン主義の思想的末裔のピューリタン達。プロテスタンティズムの禁欲的側面から、天職として仕事に没頭することを教えたプロテスタント諸派によって培われた近代資本主義。その生活態度(時間管理、経済的節制)に基づく資本主義の精神は、経済の拡大に伴い、宗教的背景から離れ↓2013/06/04
イプシロン
38
本書はふつう表題にある関係性で読まれるのだろう。だが、穿って読むなら、人類が決して解決しえない哲学的命題を提示していると言える。しかし、タイトルに引っ張られ、その重要さに気づけない弊害をもつのだろう。――エートス(道徳観の発露)はロゴス(言葉)とパトス(情念)から作られる。後者2つは理性と感情、または言語化される概念、概念化されない概念と換言できよう。そしてウェーバーは、この二つからなるエートスに人が接して、心理的影響を受け、無意識にある種の行動規範を作りだし、その規範が社会に感染すると述べているからだ。2019/09/20