出版社内容情報
コリャードはスペイン人宣教師.一六一九年来日,布教に従事した.本書はその彼が日本人キリシタン宗徒の懺悔(告解)を記録した異色の書.日本語による赤裸々な罪の告白が,十誡の順序に従って収載されている.当時の日常の日本語を伝える重要な資料であり,また信徒の生活や風俗習慣をうかがい知る上で貴重な文献である.
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
gtn
7
17世紀初めの日本の性生活の自由奔放さに驚く。それを平気で告解しているということは、よっぽど宗教心に厚かったのか、それとも、その性生活がごく普通ということか。「マラスル(参ラスル)」等、当時の言葉づかいもそのまま残されており、非常に貴重。2019/01/08
きゃんたか
5
「三つのおペルソナは、格別の、キリシタンたる者の分別でござる。それと申すは、デウス、申したごとく、御一体でござれども、その御一体は、三つのペルソナス、御親と、御親の御子と、また御親と御子の互いの御大切でござる。」江戸時代当時のキリシタンは聖霊を「御大切」と訳し、天国を「ゴロリアの充満の快楽」と訳す。粋であり、艶かしい。祈りが叶えられないキリシタンが木片で占ったり、山伏を呼び寄せたり、厄除けの札を掛けたり…。夫のある女が産まれた子供を踏み殺したり…。男色したり、一度ならず獣姦したり…。昔も今も、人は罪深い。2015/10/22
よっし~
4
読書会「K社のとなり」(9/21)読み友さん紹介本。17世紀スペイン人神父による日本人の懺悔集。キリスト教布教の際、神父たちは現地の言葉を用いる方針をとっていた。だから一部の用語以外は、現地語、すなわち日本では仏教用語を援用した。「懺悔」も仏教用語であるし、「録」も禅宗の宗派の書、というほどの意味である。懺悔自体が個人の秘密である上に異文化が輸入されるときの言葉のぶれ方が加わり生々しい内容となっている。個人的には三浦哲郎の『少年賛歌』を想起した。興味深い文献を紹介してくださった読み友さんに感謝。2019/11/16
Tonex
4
1619年に来日したスペイン人宣教師が書いた日本語テキスト(日本文範例集)。たった3年しか日本にいなかったのに、こんな本が書けるというのはすごい。▼原書は日本語とラテン語の対訳本。日本語部分はローマ字で書かれており、岩波文庫では漢字仮名交じり文に翻字されている。▼内容は、1.神父と信徒の対話形式による教義の解説、2.信徒の告解(=懺悔)の事例、3.告解に対する神父のコメント。一番面白いのは、やはり2の告解。当時のキリシタンの人たちの罪の告白が生々しい。→コメント欄に追記2015/12/23
シンドバッド
3
くるみさんの感想には、敵いませんが、一言だけ。17世紀の物が残されていたことに、ある種の力を感じた。そして、近々読む予定の、宗門史への事前学習となった。2015/03/15