出版社内容情報
第1篇「告白者並びに文士としてのダヴィット・シュトラウス」においては,えせ文化人あるいは教養ある俗人の典型としてのシュトラウスを俎上にあげ,第2篇「人生にとっての歴史の利弊」においては,単なる学問としての歴史科学の反文化性を明らかにしつつ,「文化」とは何かという根本的な問いに答える.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
てれまこし
10
また大発見があった。折口信夫がニーチェで柳田国男はヘーゲル。誰が言ったか忘れたが、そういうたとえがある。一理あるけど、柳田が直接対話していたのはたぶんニーチェの方だ。柳田の「歴史の欠乏」(『青年と学問』)はニーチェの「歴史の過剰」への批判。歴史の過剰とは、自分の意志とは関係ない力によって紡がれる無限の連鎖の一点に自己を押し込めることによって、人間が主体性を失っていくこと。批判の対象はヘーゲル哲学だが、実証史学や自然科学にも批判は広げられる。これに対して、ニーチェは歴史に断絶をもたらす天才の到来に期待する。2021/05/10