内容説明
「ねえ、ハイラス」経験論者バークリを代弁するフィロナスは論戦を挑むハイラスに向きあう。知覚の原因物質が外界に存在することを否定し一切は心の中の観念とする“非物質主義哲学”をいかに世間に納得させるか。『人知原理論』『視覚新論』と三大主著をなす対話篇は英文学史に残る名文で書かれた。1713年刊、絶好の哲学入門書。
目次
第一対話
第二対話
第三対話
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
CCC
8
実在の原因を心のみと定め、認識されていない状態のものの存在を否定。実在=認識される事とする。人に認識されていなくとも現実にはあり続ける、あらゆる存在については、全知の神によって説明。人が見ていないでも存在があるのはそれらをずっと見ている存在、つまり神がいる証拠との事。物質のかわりに神が入ってきちゃった。しかしそれなら人の認識など、説明に持ち出すまでもないのではないだろうか。神が認識する=実在でもかまわない理屈になる。さらに言うなら、人が認識していない時にも存在する観念がある事を論点先取している気もする。2018/03/12
白義
6
鮮やかな対話編の見本のような書物である。フィロナスの流れるような語り口は明晰で、こちらが自明視している物質への思い込みを次々揺さぶっていく。読者はハイラスと共に不安と戸惑いを感じるだろう。そして後半、フィロナスの常識擁護の議論が提示されることにより、静かに日常の世界に回帰できる。バークリは現代だと大森荘蔵に近いタイプの思想家だと思う。分析的に突拍子もない論点を提示、解説しながら、最後には普段の我々の視野、常識と一致させることにより、透明な見通しを与えてくれる。バークリ入門にもベスト2012/09/13
よしくん
5
再読。要するに、僕の目の前に広がっているように見える世界は全て僕の感覚に過ぎない訳で、世界なんて本当に実在するの?って疑問に対する解答である。バークリは心の外に物質が存在するという世界観のほうが根拠のない仮説だとして、もっと「常識的に」全ては知覚である!でいいじゃん、とぶっ飛んだ「常識」を提示する。世界とは神の知覚なんだよ、って主張は納得出来ない(私達にとっての世界の存在を支えるのが、神なのか私達より少し高度な知的存在なのか私達には判断できないはずだ)が、世界の存在に関する根本的な疑問には深く共感した。2024/07/14
Ex libris 毒餃子
5
知覚なんだよなあ。2023/11/25
有沢翔治@文芸同人誌配布中
4
『視覚新論』でも要するに見ていないものは認識ができない、というテーマですが『ハイラスとフィロナスの三つの対話』(以下『対話』)の第一対話でもそれは繰り返し出てきます。例えば「視覚で光と音と形以外の何かを」感じませんよね。 可感的事物(五官で感じることのできるもの)は、心の中に存在するものだというのです。一件、唯心論、観念論めいた主張だと思います。https://shoji-arisawa.blog.jp/archives/51138511.html2010/11/17
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