出版社内容情報
「彫刻を掘りあてるために,私は全力をつくし,できる限りのことをした」と語ったロダン(一八四〇‐一九一七)には自ら書いた文章は少ない.本書は,高村光太郎が折にふれて訳出したロダンの談話筆録を編集し,詳細な注と全作品年表とを付して,ロダン研究の基礎的な資料となるよう配慮したもの.別刷挿絵を多数おさめた.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
双海(ふたみ)
19
作歌に通ずるものあり「私は創造しません。ただ見るのです。作る事の出来るのは見るが故です。」「美しい線は永遠である。なぜこんなに少ししか使われないのか。」「(女の彫像)閉ぢた眼。これは流れる時間の甘さである。」「苦痛こそ生活の教典である」「都会では人々はりんごのように積み重なる。そして互いに腐ってゆく。」「彫刻に独創はいらない。生命がいる。」「女、このモデル、この生命の殿堂。そこではきわめて微かな肉づけさえ反響され、美しく捉え難き線は炎々と燃え上がる。断片といえども、胸だけといえども、一つの全傑作である!」2019/08/24
アムリタ
13
19世紀フランス、近代彫刻の父ロダンの言葉の数々を、当時の弟子や秘書が筆記したもの。よくぞ残してくれた!人間ロダンは頑固だけれど、感激屋さん。芸術のためには決して迎合せず、馬鹿正直に苦しみ喜びながら生きた。本は、どこをどう開いても詩的な情熱と、ものの本質を見抜く眼差しと、生や自然、美への讃歌に溢れている。女性への賛美も真っ直ぐだからか、カミーユ・クローデルをはじめ女性の弟子が多かった。 ロダンは、神々でなく生きた人間を彫った。 眼でなく叡智でものを見ろ、だがそれが出来る者は実に少ない ーロダン 2021/09/22
yutaro sata
12
彫刻を眺めたとき、そこには時間が感じられなければならない。ただ現物をそのまま再現するだけではだめなんだ。三浦つとむさんが『日本語はどういう言語か』で紹介していて知ったのではなかったか。高村光太郎が翻訳しています。2022/05/07
Y.Yokota
7
リルケの流れで読む。あまり文章を残していないロダンが語ったことなどを筆録し、高村光太郎が翻訳した本。ロダンは繰り返し、自然を研究せよ、芸術家は創作する必要はない、自然を掘り出すだけだ、というようなことを語る。そして古代の芸術を見よ、彼らは自然を訳出する術を知っていた、と。彫像家のロダンの言う「自然」には、もちろん人間そのものも含まれている。それが、当たり前のことのようで、自分にはものすごく新鮮なことだった。2020/07/17
和敬清寂
5
宝です。座右の書です。 ロダンの写真を見て、いつか自分もこういうおじいちゃんになりたいと思いました。我が偉大なる師です。 のろまでいいのだ。年を取っていく事でしか得られないものがある。焦る必要はない。忍耐を持って歩め。 「創られたものすべてを凝視する事、及びそれに美を感じる事、そこに幸福がある。 どうしてそれ以上望めましょう! 生命こそ一番美しい祝祭です。そして無限です。」 この言葉ほど自分を勇気づけ慰めるものはない。 そして、いつの日か自分もこういう事を言える人間になりたいのです。2020/05/20