出版社内容情報
『サンユッタ・ニカーヤ』の第一集「詩句をともなった集」の第四篇から終り第十一篇までを収める.悪魔や尼僧,バラモン,在俗信者などとの対話に,はるかな昔,貧乏,病,死,戦争,煩悩等々にうちひしがれた人々の間をたゆみなく歩き,彼らの苦しみを救ったブッダの姿が生き生きとよみがえってくる.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
イプシロン
22
漢訳に言われる『雑阿含経』の「相応部」にあたる。種類別に説かれた教えをまとめたものだけに、篇、章によって説かれている内容に一貫性があるので、仏教を理解するには良い教典だと言える。しかし、近年の研究によると、パーリ語(口語)及びサンスクリット語(文語)の教典は必ずしも漢訳より古いとは言えないことが、わかってきているので、ブッダの直説として読むことが可能かといえば、それは難しい。しかし、中村の訳注を見る限り、その辺の事情を加味しながら、漢訳、西洋近代仏教学者、ブッダゴーサの注釈を参照していることが伝わって2024/03/15
rigmarole
14
印象度B。教えの内容については『ブッダの言葉』や『仏弟子の告白』等の重複が多く、取り立てて本書を読む必要はないでしょう。しかしそれ以外の部分、例えば、悪魔がバラモンや牛に化けて出て来るといった超自然的な事とか、ある尊者が6度も解脱してはそこから退いたり、対話者の間で3度も同じ言葉をやりとりしたりするといった反復の一つ一つが、当時においては意味を持っていたはずです。更に、この仏典が2千年余りの時を経て伝承されているだけに重さがあるわけで、現代においても何らかの示唆があるに違いない、と考えつつ読み進めました。2025/09/28
roughfractus02
12
「サンユッタ・ニカーヤ」(相応部)の第1部後半4-11篇を収めた本巻では、対話者が前巻での神々や王に比べて、悪魔、尼僧、梵天、バラモン、在俗信者、ヴァンギーサ長老、林に住む僧、夜叉(鬼神)、帝釈天と多岐に渡る。威厳、悪意、疑念、無知等から生み出される対話者の極端な主張に対処説法で応じるブッダは、その論理構造が作る二項的立場のどちらかに固定させる論理の盲点を突くようにして、固定し得ないその中間へと対話者を導く。これら対話者がもしブッダの「影」なら、中道は自己を絶えず多数化する対話によって開かれるのだろう。2026/01/16
funuu
5
怒りを斬り殺して安らかに臥す。怒りを斬り殺して悲しまない。毒の根である最上の密である怒りを、殺すことを、聖者は称賛する。それを斬り殺したならば、悲しむことはないからである。 ブッタは自らはさとったが、他の人には、理解できないとなやむ。サッカ「帝釈天」に励まされて、悟りを語ることにした。また、自分は、いわゆる「仏教」をはじめたとは、言っていない。他のブッタも、認めている。日本仏教とは、かなり違うようですね。2014/08/05
田蛙澄
4
執着を捨てること、なかんずく怒りを捨て、安らかな境地に留まること。その素晴らしさ、平静さが仏陀の息遣いと共に聞こえてくるようで、美しい。しかしスッタニパータやダンマパダなどに比べると、仏陀の神格化や崇拝、教団の組織化などの傾向が垣間見えて、時代の進行を感じる。個人的には森林の中で独居する沙門の感じが好きだ。2018/09/21
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