出版社内容情報
現代仏教哲学の頂点をなす著作であり,著者が到達した境地が遺憾なく示される.日本人の真の宗教意識,日本的霊性は,鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し,その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる.著者は,日本の仏教徒には仏教という文化財を世界に伝える使命があると考え,本書もその一環として書かれた.
内容説明
現代仏教学の頂点をなす著作であり、著者が到達した境地が遺憾なく示される。日本人の真の宗教意識、日本的霊性は、鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し、その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる。大拙(1870‐1966)は、日本の仏教徒には仏教という文化財を世界に伝える使命があると考え、本書もその一環として書かれた。
目次
日本的霊性につきて
第1篇 鎌倉時代と日本的霊性(情性的生活;日本的霊性の自覚―鎌倉時代)
第2篇 日本的霊性の顕現(日本的霊性の胎動と仏教;霊性;日本的霊性の主体性)
第3篇 法然上人と念仏称名(平家の没落;浄土系思想の様相;念仏と「文盲」;念仏称名)
第4篇 妙好人(赤尾の道宗;浅原才市)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
井月 奎(いづき けい)
44
「日本的霊性」とは記紀万葉において土着の信仰心が形を現し、その当時に入ってきた仏教が平安時代での日本的美意識と退廃的な世界観を経てのちに鎌倉時代の武士社会においてはっきりと顕在した哲学的克己心、宗教観、死生観と人間以上の存在に帰依する人類愛のこと、そうとらえました。最終章の妙好人、浅原才市のそぼくな阿弥陀仏への詩が読み解きを、この読書への歩むべき道を示唆してくれました。読み落としは大きいものがあるはずで再読すれば枝葉は増えると思いますが、幹は、その木の種は間違っていないはずだ、そう信じて頁を閉じました。2020/04/26
獺祭魚の食客@鯨鯢
41
「禅」を世界に広めた知の巨人の代表作の一つです。禅はインドの達磨大師に由来し日本に渡来しましたが、西洋人は禅と言えば鎌倉仏教の座禅を想起するほど日本オリジナルだと思っています。 禅は瞑想といった、近代合理主義の行き詰まりに悩む現代人にとってと「自己回復」の手法としてとても有効ものだと思います。 日本人は文明のオリジナリティはないが、それを純化して精緻にする能力に長けていると思いますが、これも発祥の地で途絶えた思想を現代に華開かせている成功例の一つとしてとても感慨深く思います。2019/09/09
松本直哉
31
兵士が南無阿弥陀仏と唱えながら敵陣に斬り込んだ挿話を紹介していて、聞き捨てならない。常時も非常時も自らのなすべきことをなすのみ、というのも危険な思想。1944年の執筆当時の国粋主義に著者も無関係でなかった。わざわざ日本的なものを特定しようとする姿勢にもそれは現れる。日本と日本以外を問わず普遍的に人の心の奥底にある霊性を探る方が実りが多いはず。禅と浄土教が日本的霊性の具現だそうだが、どちらも鎌倉時代の狂い咲きのような思想で、その後の思想史に与えた影響は少ないし、優れた後継者もいなかったように思えるのだが。2020/06/12
長谷川透
29
日本的霊性は仏教がこの国に根付いてから芽生えたのではなく、古来よりこの国の土壌に潜んでいた、と大拙は説く。日本の霊性への目覚めは遅く、その契機は鎌倉時代で、数百年の時を経て日本の風土に馴染んできた仏教と当時の時代性が相まって日本人は日本的霊性を自覚したという。仏教への知識が乏しいため、消化不良の個所が所々あるが、日本人の霊性への目覚めを辿る前半は知識がほとんどなくても読み進めることができるし、考察の一つ一つが面白い。ただ一点、平安時代に霊性が芽生えなかった原因を平安の女流文化に帰してしまうのは大いに疑問。2013/07/25
nbhd
26
難しいことはさておき、鈴木大拙先生の言葉遣い息遣いは、真面目なんだけど、どこかのほほんとしていて素敵だった。知性でも感性でもない霊性のありようを解き明かす大拙先生、圧巻なのは終章の「妙好人」について。これは生活即なむあみだぶつ的・なむあみだぶつ即人生的な、超絶人間のことを指すのだが、例としてあげられる浅原才市の言葉に深い感動を覚えた。で、霊性について論理的に説明しようとする本なのに、最後は論理を超えた究極の境地を示してしめくくるあたり…大拙先生はロックだ。2015/03/17