出版社内容情報
数多い仏教書の中でも「いづれの行も及びがたき身なれば,とても地獄は一定すみかぞかし」といった『歎異抄』の文言ほどわれわれに耳近いものはあるまい.親鸞滅後,弟子唯円が師の言葉をもとに編んだもので難解な仏典仏語がなく,真宗の安心と他力本願の奥義が,和文によって平易に解かれている.段ごとに大意を付した.
内容説明
数多い仏教書の中でも「いづれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」といった『歎異抄』の文言ほどわれわれに耳近いものはあるまい。親鸞滅後、弟子唯円が師の言葉をもとに編んだ本書には難解な仏典仏語がなく、真宗の安心と他力本願の奥義が、和文によって平易に説かれている。段ごとに大意を付した。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やいっち
68
若い頃 何度となく読んだ。三木清の影響だったか、それとも真宗王国富山の必然か。……そう言えば、高校生の頃 「歎異抄」にかぶれたか、つい地元の新聞社に投稿した。すると驚くことに(多少 意に食わない検閲の上)新聞に掲載された。生まれて初めて自分の文章が活字に。
Y2K☮
42
人は煩悩と共に日々を営む。それを変に立派になろうとして自力で治そうとしても無理。眩し過ぎる光は却って濃い影を生む。ならば己も他人も同じ生死の不安と愛憎の悩みを持つ平等な存在として捉え、念仏を唱える事で弥陀による救済を願う=他力本願。善を以て任ずる者は己の力を恃むが故にこの救済から遠く、むしろ意志薄弱を痛感している悪人の方が近い=悪人正機。解毒剤があるからといって毒を平気で飲んでいいわけではないが、この世知辛い社会で生きる以上、殊更に己の中の悪を否定しなくてもいい。自然でいよう。煩悩があるから救われるのだ。2016/10/26
スプーン
32
親鸞(しんらん)の教えを死後、唯円(ゆいえん)が記したもの。「悪人は悲しみを多く知り、苦労した分、善人より学ぶことも多い。念仏は自身の為であり、同時に他者の為でもある。」との教え。2018/02/01
サケ太
23
面白い。『「仏となる」とは、人間の理想を満足するということであらねばならない』。善人もなく、悪人もなく『本願を信じ念仏をまうさば仏になる』。浄土真宗の、親鸞の考えに少しでも触れられる。2019/10/09
出世八五郎
19
教行信証がテキストならば本書は親鸞の裏話というか単独インタビューになる。友達に創価学会員がいて親鸞を教えてもらった。有名な言葉は大概知っているけど、親鸞の魅力は倉田百三の出家とその弟子のイメージが強いけど、本書にも逆説的な話で満ち溢れており、日本らしいなと勝手に思うわけで、念仏を唱える事で既に救われるのであって、是非善悪をはからうことは弥陀の勤めであり人間のかまうことではないという。だから、善悪論争はいいから念仏をしなさいと仰られる。勿論此処で悪を傍観するのも人間らしくないと思うけど、其処に祈りがある。。2015/01/06