岩波文庫
続思索と体験・『続思索と体験』以後

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 文庫判/ページ数 315p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003312438
  • Cコード C0110

出版社内容情報

『続思索と体験』は冒頭四篇の専門論文に,京大を還暦退官する心境を述べた「或教授の退職の辞」その他多くの随想を集録.『「続思索と体験」以後』は絶筆「私の論理について」のほか故人を追慕する小品を多く収める.『思索と体験』とともにいわば西田の自叙伝であり,西田哲学へのこの上ない入門書. (解説 下村寅太郎)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬参仟縁

17
我々は表現によって真の個人的自己 を見る(35頁)。 表現の中には、グッズ販売、プレゼン、集客チラシ、 短書評、本を売る、色々だと思う。 そして、異業種コラボは読書会の得意技だと思う。 歴史というのは、行為によって外に現わされた 意識内容でなければならない(43頁~)。 表現の内容でなければならない。 社会的に生きることは個人的に死すること(51頁)。 社会は個人を限定すると共に否定する意味を有し、 個人は社会的に死することによって生きると考えられると共に、 2014/04/30

roughfractus02

7
『思索と体験』(1919)の続編である本書は1930年代のエッセイを収める。その間純粋経験から場所の論理に展開した著者の哲学は、ヘーゲル弁証法を「絶対の死」を否定し発展する生の連続運動と見なし、自らの弁証法を絶対無なる他から自己を限定するその運動が非連続的な場所の弁証法と呼んだ。「国語の自在さ」で日本語の美を俳句に見る著者は、印欧語と異なり主語が曖昧で関係が先行する日本語を通して、他者を否定せず限定する自己の余白を、俳句のように示すかのようだ。多くの近親者の死を見つめる著者の自己は、絶対無に包まれている。2025/01/08

うえ

5
「デカルトの「私が考える。故に私がある」といったのが、かつてアウグスチヌスが自覚について論じた所と一面に符節を合わすが如くなるは誰も知る所である。しかしデカルトの自覚は単に知的であった、それは形而上学的真理として用いられた。マールブランシュの如きアウグスチヌス的といわれても、デカルトの合理主義的方向を進んだものということ…スピノザの如きかかる方向の極致ということができる。スピノザにおいて人間という如きは神においては否定せられるべきものである。これに反しパスカルにおいては理知に対して情知の権威が立せられた」2025/03/30

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/877759
  • ご注意事項

最近チェックした商品