出版社内容情報
西田 幾多郎[ニシダ キタロウ]
著・文・その他
内容説明
真の実在とは何か、善とは何か、いかに生きるべきか、真の宗教心とは―。主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する根本の問いを考え抜いた西田幾多郎(1870‐1945)。東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組そのものを問題にした本書は、百年後の今日まで日本の哲学の座標軸であり続ける。
目次
第1編 純粋経験(純粋経験;思惟 ほか)
第2編 実在(考究の出立点;意識現象が唯一の実在である ほか)
第3編 善(行為;意志の自由 ほか)
第4編 宗教(宗教的要求;宗教の本質 ほか)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
KAZOO
118
50年以上も前に背伸びして手に取ったことを思い出しました。当時は逐語訳をするような感じで読んだのですが、どこまで理解できたかは覚えていません。いま再読してみると内容的にはかなり難しい気がしました。「善」ということがどのようなことなのか、が中心なのですが、思惟、あるいは意識、それと実在との関係の方が理解しやすい気がしました。まだ半分も理解できていません。2022/12/18
esop
73
意識現象が唯一の実在である/意志とは或理想を現実にせんとするので現実と理想との対立である/小なる自己を以て自己となす時には苦痛多く自己が大きくなり客観的自然と一致するに従って幸福となる/動機の原因が自己の最深なる内面的性質より出た時もっと自由と感ずる/即ち善悪の標準は快楽または満足の大小ということに移ってくる/善とは我々の内面的要求即ち理想の実現換言すれば意志の発展完成である/実地上真の善とはー真の自己を知るというに尽きて居る/元来絶対的に悪というべき者はいない、物は総べてその本来においては善である2024/08/18
うえぽん
47
日本の哲学史の中で確固たる座標軸として機能してきた記念碑的作品。古代ギリシア以来の根本的な問いである真の実在について、主観・客観、精神・物体が区別なく合一している純粋経験を指すとする。倫理学の諸説について、直覚説、権力説、合理説、快楽説の説明を不十分とし、善とは内面的要求の実現、意志の発展形成だとするプラトー以来の行動説に依拠し、人格の実現が絶対的善だとする。更に社会的善として家族、国家、人類的社会の団結に視野を拡げる。真正の宗教を利己心を超えた自己存在全体の変換の要求だとしたのも主客合一の観念と言える。2024/09/14
koji
34
月に2回は金沢を訪れます。金沢駅の宇都宮書店さんに「石川県書籍コーナー」があり、そこで本書を手に取り冒頭1頁にグッときました。西田は石川県かほく市出身。四校教師をしていた時に本書の元を書いたそうです。私がグッときたのも金沢の何かが後押ししたのでしょう。西田流に言うと直感ですか。ただすぐの購入には躊躇いがあり1ヶ月経って名古屋で買いました(宇都宮書店さんご免なさい)。確り読みました。さまざまな思いが去来しました。感想は、尊敬ともどかしさと危うさ。そして令和の世に西田は何を思うかということ。私も考えていきます2019/05/06
Yuma Usui
33
特に最初の実在に関する記述が難しく読む気持ちが萎えかけたが、後半になるほどイメージしやすい論述で興味深い内容だった。とはいえ十分理解できたとは言えず何度か再読する必要がありそう。内容的には古今東西の哲学を網羅した上で、知覚、意思、意識、知識、善、情動、愛、神、宗教など多岐に渡り論述されており、ベースとなる知識があるほど楽しく読めると思う。2018/10/17
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