出版社内容情報
「私の悲劇が多くの者に悲しい印象を与えるというのは,その多くの者の罪である」と,ストリンドベリは本書の自序でいう.実際にこの悲劇は人びとに深い悲しい印象を与える.簡単な「めでたし」を排したというだけで,あまりに本当だというだけで,悲劇がかくも深まっていくということを知らされる.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
7
定価200円。旧字体。「人生は、単に大きなものが小さなものを喰ふという程、夫程算数的に白痴的なものではない、夫所か、蜂が獅子を殺すといふ事若くは彼を少くとも気狂にするといふ事も、同様によくある事」(7頁)という。小ばかにされていて人間、黙ってはいないし、なにくそというハングリー精神が湧いてくるというものだ。「私は生の歓びを人生の烈しい残酷な戦ひの中に発見する」(8頁)。それもまた、エキセントリックだけども。上流社会の奥は粗野である、乗馬服の着こなしは巧妙でも身体が純潔である事の保証にはならない(13頁)。2014/01/09
Nemorální lid
2
生成途中にある不完全な思惟こそが熟察や検覈や評価へと発展するのだ、とするストリンドベリの自然主義的技法で書かれた戯曲である。「令嬢ユリェは現代的な性格である」(序 p.11)と述べられている通り、主人公ユリェは身分階級、家族内関係、男女関係のプロトタイプに苦しむ現代人である。古き型に当てはまろうとしないユリェはこうして『没落』していく。然しこれは真たる『没落』なのであろうか? この本は「私の悲劇が多くの者に悲しい印象を与えるというのは、その多くの者の罪である」(序 p.7)という文に全てが集約している。2018/03/18
Tenco
1
題名に“自然主義的悲劇”と併記された本作。まず、そこら辺の演劇とは一味違うぜ!と言わんばかりの序文に勢いを感じるのだが、本文の解説も兼ねているためか、読了前に目を通しても何のことを言ってるのか分からず挫折しそうになる。その序文によれば、本作は物語を進行させるうえで単純明快な因果や人物の分かりやすい個性を排しているそうで、「動機の此多様を私は今の時代に相應はしいものゝ一つとして誇りたいと思ふ!」などと自信満々(かわいい)。/2023/08/08
T. Tokunaga
0
古川ロッパが研究していたらしいが、よさがわからず終わった。2021/12/07