出版社内容情報
反ファシズム活動の理由で逮捕されたパヴェーゼ(1908-50)が南イタリアの僻村に流刑されたときの体験を色濃く映した自伝的小説。背後に峨々たる山々が聳え立ち、眼前には渺々たるイオニア海が広がる逃げ道なしの自然の牢獄の中で築かれた村びとたちとの静かで穏やかな交流の日々を背景に、流刑囚の孤独な暗い心の裡を描き出す。
内容説明
反ファシズム活動の理由で逮捕されたパヴェーゼ(一九〇八‐五〇)が南イタリアの僻村に流刑されたときの体験を色濃く映した自伝的小説。背後は峨々たる山々、眼前は渺々たるイオニア海。村人たちとの穏やかな交流の日々を背景に、流刑囚の孤独な暗い心の裡を描き出す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
379
パヴェーゼ最初の長編小説。自伝的要素が強いとされる。小説では「その村」と語られるだけで地名は明かされないが、パヴェーゼが流刑の憂き目にあったのはカラブリアのブランカレオーネである。反ファシズム活動の罪状で、1938年のことであった。小説はこの地での、夏から次の夏を迎えるまでのほぼ1年間を綴る。そこから伝わるのは、孤独とやるせなさである。目的感の喪失も強くあるだろう。エレナとの間に交わされる愛もまた、結節点を持たないことが最初からわかっている。母子の間の愛のようでもある。それはたまさかの寄港地であったのか。2021/06/26
青蓮
106
反ファシズム活動の理由で逮捕された著者が南イタリアの僻地に流刑された時の体験を元に書いた自伝的小説。流刑と言うと何かに過酷なものを思い浮かべてしまうが、本作ではある程度の自由は許されており、どちらかと言うと軟禁に近い様子。しかし、村の人達との穏やかな交流や女達との逢瀬を重ねても拭い去ることができない孤独感に苛まされるステーファノ。今いる場所は終の住処ではなく、何れは去らなければならないから。「ぼくには誰もいないのだ、いつまでも独りでいるだろう」彼の言葉に深い孤独を感じる。寂寞とした中で自然だけが美しかった2018/02/08
らぱん
28
思想犯として「流刑」された男は嫌疑も量刑も知らされてはいない。わからないままに鄙びた海辺の村で緩やかな拘束の日々を送ることになる。夏の南イタリアでそれまでの「本物の」牢獄に比べたら自由度ははるかに高くヴァカンスのようだが、もちろん彼がこれを選んでいるわけではない。宙ぶらりんの状態で彼は傍観者として村と自分自身を眺める。美しい情景と重苦しい内面の描写が、くっきりとした明暗になり男の孤独の深さが表出している。自虐的で精神的な自傷行為を繰り返す様子は痛ましい。拘束するものは自身の中にあると知っている男の哀しみ。2019/04/20
藤月はな(灯れ松明の火)
28
最後まで罪が明らかにされない主人公の流刑地である田舎での日々。多少の規制や監視があるものの比較的、自由であり、生活のために人の手が必要と言えども必要最低限の交流を行い、人々と馴れあうこともない。彼は孤独があるがそれは人々の馴れあいのような交流では埋められないものである。都会で群衆の一人である孤独と共同体で位置づけられながらも肝心のことは注目されていない孤独と対比させてみても面白いかもしれません。畢竟、人は一人でいられないが一人でいなければならないことが儘ある。2012/10/09
kero385
26
「月と篝火」を読んで、パヴェーゼが季節を重要な文学的モチーフにしていることを改めて認識した。 なかでも「夏」は、生と死が交差する人生の躍動が込められた最も重要な季節であり、「冬」はその「夏」の対蹠点として生の沈黙、停滞の象徴であるとも感じた。 そしてその二つを結ぶ「秋」は、「夏」と「冬」とのあいだを緩やかな下降線で結ぶ時間として描かれている。 では「春」は? 私は「月と篝火」で「春」の不在を見出した。 では「流刑」ではどうなのか。そこに焦点をおいて読み直した。2025/07/10
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