出版社内容情報
オーストリアの将校トゥンダは第一次大戦のさなかロシア軍に捕えられ,赤軍の兵士として革命を戦うこととなる.十年ののち故郷に帰還したとき,もはやそこに彼の居場所はなかった…….ガリチアに生まれ,ウィーン,ベルリンを経てパリに客死した放浪のユダヤ人ロート(一八九四―一九三九)が故郷喪失者のさすらいを描いた代表作.
内容説明
オーストリアの将校トゥンダは第一次大戦のさなかロシア軍に捕えられ、赤軍の兵士として革命を戦うこととなる。10年ののち故郷に帰還したとき、もはやそこに彼の居場所はなかった…。ガリチアに生まれ、ウィーン、ベルリンを経てパリに客死した放浪のユダヤ人作家ロートが、故郷喪失者のさすらいを描いた代表作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
201
この小説の基調を一言で表現すれば、諦念だろうか。物語が終わった時、主人公のフランツはまだ32歳で、世界の首都パリの中心、マドレーヌ寺院の前にいる。しかし、その時彼はパリの街からも、世界からも拒絶された「余計な人間」だった。オーストリアでの陸軍中尉としての従軍から、はからずもロシアで赤軍として戦うことになった運命の変転も、帰還後のウイーン、兄のいたライン川沿いの町、ベルリン、そしてパリと放浪を続けるほどに彼は自らの居場所と、存在意義とを失っていく。そして、小説は読者の共感をもまた拒絶しているかのようだ。2015/04/07
hasegawa noboru
18
<オーストリア軍陸軍中尉フランツ・トゥンダは一九一六年八月、ロシア軍の捕虜となった。>で始まり、以降<まるで風にでも襲われたように未知なる運命に襲われて、別の地方へ、別の歳月へ、別の生活へ連れ込まれたという>主人公の流転の人生をたどるのが本作の主題であろうが、それにしてもわずか一〇年で四人(五人?)の女性との出会いと別れは少々ご都合主義すぎないか。<きれいな女性に同情するのは、トゥンダの宿命的な性向の一つだった。>とはいうものの。一九二六年八月作者(ロート)「わたし」がパリで三十二歳のトゥンダに出合う2023/03/05
em
13
第一次大戦後、元オーストリア兵の話。「この世には彼のわが家はなかった。それはどこにあるのだろうか。共同墓地の中にあるのだった。」帰還兵というのはある種の鈍感さを身につけなければ生きられなかったのかもしれず、でもそれができないのは弱い人間なのだろうか。共感を求めて読書するタイプではないのですが、この作家の中にあるノスタルジーと怒り、それを通過した先の諦念には、多少ズレたところや陶酔の気味も含めてどうしようもなく共鳴してしまう。一つの大戦が終わり、また始まるまでを現実に生きていた作家が放つ力のせいかも。2017/04/23
壱萬参仟縁
12
1927年初出。人に見せない涙の中で、自分自身のために流した涙があるとすれば、それが最高に素晴らしい涙(11-12頁)。他人のために流した涙が、自分のためになっている時もある。水に放たれた魚のように常に獲物を漁り、決して没落を恐れることはない。富にも困窮にも不死身(84頁)。このような強靭な人間になりたいものだが、なかなか大変だろう。愛想のいい人間は、人生での苦労が多い(93頁)と。実は・・・か。人間はすべて嘘つき(122頁)だが程度問題。金持ちが世界のパン屋なら社会問題は全面解決(177頁)。食べる事。2013/09/12
Toska
10
主人公はユダヤ系のオーストリア人、時代は二つの世界大戦の狭間、舞台はシベリア、バクーからベルリン、パリに至るまで。後に戦間期と呼ばれる大いなる混沌の中、どこにも居場所を見つけられない男の物語。これはかなりの程度まで著者ロートの生き様を反映しているのだろうし、同時期に同じような浮草生活を送ったイリヤ・エレンブルクの回想を思い出す部分もある。シニックだが攻撃的ではない文体が好ましい。2024/01/31
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- 和書
- 埴谷雄高エッセンス