出版社内容情報
18世紀中葉のドイツ文学において啓蒙主義を完成したレッシングの代表作.12世紀末のエルサレムを舞台として,ユダヤ教,イスラム教,キリスト教の3宗教融合帰一の途を,巧みな筋立てのうちに示す劇詩である.分別を超えた心の最深底から流露する真と善とが,全体の高い気品とあいまって,読者に深い感銘を与えるであろう.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
21
サラディン曰く、「わしは現在よりも富んだことも なければ貧しかったこともないのだ」(61頁)。 だが、その時の水準にもよるだろうか。 アル₋ハーフィの台詞では、「剰余金」とあって、 ルビは「へそくり」と読ますのが微笑ましい。 資本家にとっては、剰余価値であり、 労働者にとっては、搾取された労働力の価値だが。 2014/04/09
きゅー
13
12世紀のエルサレム。イスラム教のサラディン、キリスト教の神殿騎士、ユダヤ教のナータンと、同じ源泉から生まれた3つの宗教の信徒が主要登場人物となっている。そして彼らの和合がこの劇詩のクライマックスで訪れる。強欲なユダヤ商人というイメージを逆手に取りつつ、タイトルに「賢人」とあるように、ナータンは難しい選択を迫られながらも、それを上手に切り返し、物語をまとめる。それはスルタンのサラディンから3つの宗教のうちどれが真の宗教かと問われた時のことだ。イスラム教といえば、ナータンがユダヤ教徒である説明がつかない。2012/06/12
Francis
8
2012年春の岩波文庫のリクエスト復刊版。11年経ってようやく読んだ。中世のサラディンのアイユーブ朝統治下のエルサレムを舞台にユダヤ・キリスト・イスラム教の同じ神様を信じつつ異なる宗教を信じる者同士がどのように共存できるかを戯曲の形で問いかけたもの。キリスト教はユダヤ・イスラム教に対して反発が強いのだが、この戯曲に見られるように共存を模索する時代もあったのだ。時代が異なっても宗教の共存を模索するうえで読むべき古典と言えるだろう。2023/04/30
きりぱい
7
ユダヤ商人のナータン、キリスト教の神殿騎士、イスラム教のサラディンと、三宗教が清々しい打ち解けを見せる戯曲。サラディンの企みにどう返答するか、三人の息子の例え話が見事。『デカメロン』から借りたネタだそうだけれど。レッシング自身キリスト教なのにナータンを賢人、大司教は悪役と、キリスト教だけをことさら良く描いていないところが好ましい。「何かを探りたがる人の眼は往々にして自分が求めている以上のものを探り出す」だとか「よく考えてみるなんてのは、そんなことまでする必要がないという理由を探すこと」なんて面白い言葉も。2013/07/07
tieckP(ティークP)
6
レッシングは『エミーリア・ガロッティ』を読んでいたけど、こちらの方が圧倒的に面白かった。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の和解を訴える内容は高貴なだけでなく、筋も登場人物がよく配置されていて巧み。劇の機能として割り振られている悪役の大司教とかき回し役のダーヤがともに融通の利かないキリスト教徒であることに意図が感じられるけれど、キリスト教圏にいるレッシングだからこれこそフェアな態度だろう。(とはいえレッシングといえば汎神論論争のきっかけでもあるけれど。)訳はカントで有名な篠田氏、こなれてていい調子の名訳。2013/05/27