• ポイントキャンペーン

岩波文庫
ラオコオン―絵画と文学との限界について

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 文庫判/ページ数 381p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003240410
  • NDC分類 704
  • Cコード C0195

出版社内容情報

「絵は無声の詩,詩は有声の絵」の名句で表現されるように,絵画と文学の対比は古くから美学の核心的な問題のひとつであった.レッシング(1729‐1781)は,彫刻ラオコオン群像を題材に取り上げて文学と造形美術との限界を明らかにしてゆく中で,文学にもっとも固有の本質的な能力を追求した.近代の芸術論はここに初めて拠るべき基点を与えられた.

内容説明

「絵は無声の詩、詩は有声の絵」の名句で表現されるように、絵画と文学の対比は古くから美学の核心的な問題のひとつであった。レッシング(1729‐1781)は、彫刻ラオコオン群像を題材に取り上げて文学と造形美術との限界を明らかにしてゆく中で、文学にもっとも固有の本質的な能力を追求した。近代の芸術論はここに初めて拠るべき基点を与えられた。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

またの名

14
映像・視覚作品がよく出来てるからノベライズはもっとだろうと「ホメロスを開いてみる。そして私は—幻滅を感ずる」といった、同一の対象でも絵画と詩作で違う様式の問題を議論。一瞬のうちに並列した諸部分が作る物体を空間的な全体像として描く絵画に対して、こうした瞬間と瞬間を結び付け物体によって具現化されることを必要としそれ自身では存在しない行為を、時間的な継起のうちに文学が描くと定義。いかに事実や現実からズラしてかつ臨場感や美を感じさせるか、退屈な描写を生成途上のプロセスに置き換えるかという両者の苦闘が浮かび上がる。2018/09/30

彩菜

9
著者は古典文学とそれに材を取った絵画とを比較し其々の特性を捉えようとする。そのまま頷けない事も多いのだが、一瞬の静止的行為を扱う絵画は物質的・同時的であり、時間と共に起こる行為を扱う文学は継起的だという論は興味深い。だから絵画は材に先行・後続する行為が明白となる物質の持続を感じさせる瞬間を選ばねばならないし、文学が物体を実際存在するように並列的に描くと言語表現の継起性と矛盾し芸術的幻惑性を欠いてしまうのだとか。成程。ならば、後の現代絵画・文学はその特性とどう向き合ってきたのだろう。考えてみるのも面白そうだ2019/01/26

ラウリスタ~

8
古くから絵画と詩は、ホラティウスの「ut pictura poesis」「詩は絵画のように」に代表されるように、姉妹芸術として扱われてきた。レッシングのこの本は、詩と絵画の領分を分割する。詩(あるいは文学一般)は時間的経過を描くことに長けている一方で、絵画は空間的な描写が得意である。「ラオコオン」というタイトルだが、ずっとこの彫像について語るわけでもない、かといって体系的な議論をするわけでもなく、その散発なふらふらした語り自体がレッシング的なものらしい。2014/12/08

壱萬参仟縁

8
1766年初出。想像力は無限、その生みだす形象が精神的で、大量に、多様に共存しうる。重なりあったり傷つけあったりすることはない(97頁)。してみれば、人間の想像力が豊かでありさえすれば、いざこざや、戦争は起きないはずではあるまいか? そんな疑問が生じる場面。解説によると、論争者としてのレッシングという(376頁)。一言も、二言も言いたいことがある。想像力の大切さを説いたことは、現代にも大きな意義がある。とりわけ、相互に侵害しない、人に迷惑をかけない、という意味での想像力の貴重さが、私には大きく響いた。2013/11/23

tieckP(ティークP)

5
議論としては、絵・彫刻が得意なことと文章が得意なことを区別し、前者は並列的に全体を見わたすのに良く、後者は継起的に動きを示すのに向いているというメディア論である。とりわけ、ホメロスの長所を弁護する部分は筆が走っていてよい。とはいえ、論自体はさほど独特ではないので、なにより重要なのは、ドイツ語圏の知識人が議論を交わすための場を生むような作品だったということだろう。イタリアやフランスに遅れたドイツが、レッシングやメンデルスゾーンの活躍で、その次の時代の開花を生んだ、その意味でここを起点としたい。2015/01/13

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/3295
  • ご注意事項

最近チェックした商品