出版社内容情報
小説あるいは随筆ともいうべきこの筋のない旅行記は,事件の外面的写実よりも情緒,情感の世界を描いたいわば心理主義的傾向の強い作品.スターン(1713‐1768)が20世紀の「意識の流れ」派に通ずるといわれるゆえんである.ユーモアと哀愁の渾然たる融合境を流れるような筆致で描き出した本篇は,18世紀イギリス文学の古典として広く知られている.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
290
未完の小説だが、このようなスタイルである以上、仮に完結していたとしても、それほど印象は変わらなかったものと思われる。本書は、タイトルのごとく紀行文の形式をとるが(ドーヴァーからカレーに渡り、パリを経てローヌ県のあたりまで)、その内実は心象描写にある。18世紀ということを考慮すれば、確かにその表現は斬新であったかも知れない。さて、本邦は脈々たる紀行文学の歴史を持っている。誰もが想起するのが芭蕉(17世紀)であり宗祇(15世紀)であり、西行(12世紀)である。イギリスにも17,8世紀にグランド・ツアーの⇒2017/01/06
ケイ
113
原題は Sentimental Journey through France and Italy。18世紀、ドーバーを渡り、革命前のフランスを旅して、出会った人々や出来事についてをつらつらと書いている。後半は、色々な女性との出会いが多いが、旅先でのことなので、一時的ですぐに終わること。だからセンチメンタルがタイトルにあるのだろう。冒頭に近い辺りでの僧との出会いと会話において、僧は自分は耕さず貧しいものにたかる者とであると相手に言っているが、作者自身も僧であったので、これは自らに対して思っていた事だろうか。2016/05/22
のっち♬
109
冷徹な理性を排したあたたかな人間愛を基調とする風雅な伊仏旅行記。スタンスは貧民から富者まで一貫しており、しきりに持ち出す『トリストラム・シャンディ』の弁解を感じないでもない。狂女マリアの傍で流す感傷の涙と賑やかな食卓が連続している終盤は双極的気質が伺える。孤独と不治の病に苛まれた生命のもがきだ。他者見聞や以前の訪問記録も混在させた小説的体裁の作風、旅行案内よりも事物が内面に投じる心理の微妙な陰翳や屈折への偏向、ダッシュ濫用・ピリオド節約・会話体と地の文の融合といった暗示に富んだモダン的手法は著者ならでは。2023/10/10
扉のこちら側
77
2016年993冊め。【235/G1000】いわゆる「意識の流れ」派の作品で、旅先の風景だとかの事実よりも、どういう風に感じたかという心情面を綴った作品というので「センチメンタル」ということを読んで初めて知った。これもタイトルだけで失恋旅行記のような話だと思い込んでいた。ロマンス成分はあるけれど旅先なので続かないわけである。文体は読みやすい上に未完なものだからあっという間に終わってしまった感。2016/11/18
Nemorální lid
7
『外面的事実を退けて内面的な心理への忠誠を実践したのである』(解 p.212)の通り、作者スターンは二十世紀のジョイス、ウルフに繋がる「意識の流れ」の系譜の先駆的存在である。冷たい理性を排して人間らしい温かみを尊重した彼の旅行記である当著は、もはや小説と称した方が近い形容にある。無造作な内容に読み取れるが、『非常に暗示的で、内面的な流動性に富んでいる』(解 p.213)のであり、微妙な陰翳や効果を見逃さない。スターンのこの旅行記が今も読まれるのは、こうした型破りな"旅行記らしからぬ旅行記"だからであろう。2018/09/23
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