内容説明
日本的精神主義を重んじる矢代と西洋的自然主義に偏する久慈は、パリの空の下、議論の火花を散らす。それは欧洲取材を経て戦前から戦後へと本作を書き継いだ横光利一(1898‐1947)の文化・文明論の投影でもある。GHQによって書き換えを余儀なくされた問題作を、検閲前のテキストに拠り、作家の真意に迫る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Willie the Wildcat
63
大戦の暗雲漂い始める欧州そして故国。表紙写真の岡本太郎氏と著者が交流したパリを舞台に、表層の科学技術と心底の精神性の観点で日欧を対比。具現化した対照性が、2組の恋愛描写。印象的なのが、三島が工場で撮った写真の件。一同自身の頭の”種紙”を振り返り、脳裏をよぎる表題。ゴーカートの場面も、心に交錯する合理・非合理のぶつかり合いを暗喩という感。パリ最後の2人の夜に、矢代が吐露する不安。単なる恋の行方ではなく、帰国後に待ち受ける物心両面での変化への恐れではなかろうか。山査子の花と千鶴子を重ねたのも偶然ではない。2019/09/18
NAO
53
昭和11年にヨーロッパへ向かう船の中で知り合った男女の恋愛劇という形をとりつつ、パリ滞在中に自国とヨーロッパの違いを目の当たりにした青年矢代の苦悩を描いている。パリに来て、ただただ西洋の合理主義やグローバリズムに心酔する久慈と、パリという地でかえって日本への意識が高まった矢代。常に言い負かされる久慈は一種の道化の役割だが、当時は久慈のような西洋礼賛者が多く、作者としては彼らに一言言わずには済まなかったのだろう。彼らの高尚な議論は、近代化を図りながらも自国のアイデンティティをいかにして守り、確立していくか⇒2023/09/17
ソングライン
15
1930年代、パリに留学するため同じ船に乗り合わせた二人の青年矢代と久慈、そしてヨーロッパにいる兄、夫を訪ねる二人の婦人千鶴子と真紀子、4人のパリでの恋愛を描く上巻です。日本の精神主義から離れられない矢代と西洋の自然主義に傾倒する久慈との議論、愛し合い始める矢代と千鶴子のチロル旅行での氷河の美しさ、パリでの椿姫観劇、ノートルダム寺院探検、そしてパリ祭。西洋文化に触れ、改めて見直す故国、4人の若者の心情を見事に描く長編に感動です。下巻へ。2021/10/07
amanon
7
戦前の海外旅行がまだまだ遠い存在だった時代に、パリに長期間滞在するということ。またその体験がもたらす影響というものについて改めて考えさせられることに。また同じく文化人のパリ滞在を主題にした『藤村のパリ』が想起させられたが、いみじくもそのパリ時代の藤村への言及がみられたのに我が意を得たりという気がした。大戦の狭間という危うい時期にあちこちに漂う不穏な空気。そしてそれが現実化するパリ祭における血生臭い暴動。左右の対立。それは、どこか今日にも通じるものがある。ただ、そうした複雑な状況への解説が乏しいのが残念。2024/06/20
ken_sakura
6
古い、岩波、でもなかなか面白い(^_^)辷る(すべる)が読めない。罷業の意味がわからずググった。著者のベルリンオリンピック観戦に伴う外遊に基づいて書かれた物語。主人公の矢代耕一郎は著者、友人久慈は岡本太郎がモデルかな?そんな矢代と宇佐美千鶴子、久慈と早坂真紀子の二組が過ごす第二次世界大戦を間近に控えたパリの日々。上巻は第一篇第二篇。全五篇(未完)+梅瓶(終章?)本書はオリジナル版、巻末に戦後米軍による検閲変更部分を収録。表紙の写真は1936年パリの岡本太郎アトリエにて、右が著者、左が岡本太郎。下巻へ2017/06/16
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- 和書
- ぼく、こわかったんだ