出版社内容情報
左千夫の門にいで,短歌写生の一道を追求した島木赤彦(1876‐1926)は「アララギ」の指導的地位に立って活躍し,その隆盛に貢献しつつ近代短歌の究極地を示した.――冬空の日の脚いたくかたよりて我が草家の窓にとどかず――歌集「氷魚」(大正9年)で確立された歌風は,晩年「寂寥相」「悠遠相」というような東洋的な詩境に踏みいたった.
感想・レビュー
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壱萬参仟縁
12
「木曾藪原」より。「雨たまる 驛(うまや)の道に うすらなる 灯(あか)りをなげて 櫛賣れるかな」(52頁)。櫛の調査をしたので、当時は物々交換の貧しい職人。現代は後継者不足。職人は若干名で生業を立てる。「諏訪湖」より。「まかがやく 夕焼空の 下にして 凍らむとする 湖(うみ)の静けさ」(58頁)。この時季、御神渡りもあるが、今年は結氷は微妙であった。しかし、情景は美しいもの。「木曾御嶽」では、「はひ松の かげ深みつつ なほ照れる 光寂しも 入日のなごり」(153頁)。王瀧川や駒ケ嶽も出る(222頁~)。2014/01/31
剛田剛
2
・桑の葉の茂りをわけて来りけり古井の底に水は光れり ・隣家の板壁の日の照りかへり暮れがた明かし石ころの庭 ・木枯の埃吹きあぐる坂のうへの空紅に夕焼けにけり ・赤松の林のなかの蘚深し洩れつつとほる光の幽けさ ・この真昼炭にまじれる古き葉のけぶるにほひを寂しみにけり あたりが心に残った。写生もいいが、やはりその風景の前景もしくは背景に詩情が燻っていなくては面白くないと思うのだ。そうじゃなけりゃ、「転がした泥のついた大根」だって詩になることができてしまう。2019/08/10
カミヤイン
0
茂吉や文明と違って楽しめなかった。まだ読むころあいじゃなかったのかな。
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