出版社内容情報
パリを始め海外諸都市の印象を語りつつ,それに照らして,江戸と明治を「十九世紀日本」として連続性で把え,内発的近代の可能性を提言した島崎藤村(一八七二‐一九四三)の文明論集.第一次大戦前後のフランスへの旅,晩年の南北アメリカ大陸への旅と二度にわたる外遊の旅行記を中心に文明論の核心をなすエッセイを精選.江戸文化論の先駆.
内容説明
パリを始め海外諸都市の印象を語りつつ、それに照らして、江戸と明治を「十九世紀日本」として連続性で把え、内発的近代の可能性を提言した島崎藤村(1872-1943)の文明論集。第一次世界大戦前後のフランスへの旅,晩年の南北アメリカ大陸への旅と二度にわたる外遊の旅行記を中心に文明論の核心をなすエッセイを精選。江戸文化論の先駆。
目次
1 フランスだより(地中海の旅;巴里の旅窓にて;音楽会の夜、その他;春を待ちつつ;フランス人のディレッタンチスム)
2 アメリカの旅(北米雑記;故国の島影を望むまで;南米の旅より帰って)
3 「十九世紀日本」の探求(「純粋なる日本想」を求めて;女性のめざめ;変遷の時代)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
翔亀
49
日本的自然主義文学の代表とされる藤村が文明論とは似つかわしくないが、パリ生活4年間に書き留めたエッセイを始め、体系的でも専門的でもなくつぶやくように展開された文明論は、一字一句がなるほどと思う視点を多く内包している。文学者として"自分"や"親"や"家"にこだわり続けた藤村は、実は日本の将来を真剣にに考え、パリの都市や人々を曇りのない目で見ていた。歴史論/都市論/ジェンダー論等々にみられる確かな眼、その時代に流されず、常に「自らの内部にたずねよう」とする内発的な精神は、この今でこそ学ばなければならない。2016/11/11
壱萬弐仟縁
23
エトランゼ(外国人)――という言葉は 遠く東洋から旅して来たものの胸に 一種言い表し難い響をもって迫って 来ます(18頁)。 模倣そのものは、そこに一種の独創 を産もうとするものではありますまいか (44頁)。 突如として独創できない。 真似や型から飛び出る時が やがてやって来る。 そこまでは我慢のしどころか。 福沢諭吉氏の書き残されたものを 見ると、先ず人生を戯れと観ぜよ ということを教えられます。 生を厚うする途につけ(57頁)。 2014/05/28
双海(ふたみ)
14
ロダンの言葉が紹介されている。「大都市は墓地です。人間はそこに生活してはいないのです。彼らは健康な生活力を失っています。消耗してしまったのです。」2014/09/30
愁
3
他国との関係、文明、文化、芸術について見る目というのは、時代が違えど変わらないのでしょうね。人の苦悩や憂愁も同じく。「物事は変化ではなく移動」という透谷的な部分も多分に感じました。2015/05/22