出版社内容情報
「それからのことはどうしても思い出せないんです」「人の死がありふれていました」――。第二次大戦が終わり、満州、朝鮮半島、台湾など外地で生活していた人たちの多くが命からがら日本に帰ってきた。その苦難の証言が大きな反響をよび投稿が相次いだ連載企画に、識者インタビュー、記念資料館案内、ブックガイドを増補。
内容説明
「それからのことはどうしても思い出せないんです」「人の死がありふれていました」―。第二次世界大戦が終わり、満洲、朝鮮半島、樺太など外地で生活していた人たちの多くが、命からがら日本に帰ってきた。その苦難の証言が大きな反響をよび投稿が相次いだ連載企画に、識者インタビュー、記念資料館案内、ブックガイドを増補。
目次
1 引き揚げとは
2 引き揚げを語る(父の言葉を背に、兄と三八度線を越えた;収容施設で母と妹を亡くす;決死の逃避行、脳裏に悲痛な母 ほか)
3 引き揚げを知る・学ぶ(施設紹介;ブックガイド)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Nobuko Hashimoto
25
2023年8月の読売新聞の連載「引き揚げを語る」と、そこに感想や体験を寄せた人たちへの聞き取りをまとめた本。巻頭に専門家によるわかりやすい解説。満州や朝鮮、樺太などからの引き揚げ時の犠牲者は推定30万人で、原爆(広島14万)や沖縄での地上戦(民間人9.4万)、東京大空襲の死者(10万)よりもはるかに多い。帰還できても困窮や差別、辛い記憶に苦しんだ。ところが軍人軍属については国が調査、補償、遺骨収集をしているのに対して、民間人は死者数すら定かでなく補償もない。佐世保にも引揚資料館があるとのこと。行こうっと。2024/12/25
いとう・しんご singoito2
13
読友さんきっかけ。ボクの母は樺太生まれて引き揚げ者ではないが、樺太で縁づいていた母の姉(伯母だがあったことはないのです)は引き揚げ船でソ連軍に銃撃され、死傷者もあったのこと。また、亡妻の祖父母は平壌からの引き上げ者。もはや遠い記憶だけれど、実は身近な出来事であったし、だからこそ平和憲法の改悪を許してはならないのだと思いました。2024/11/17
おおかみ
9
幼い頃に終戦を迎え、命からがら引き揚げた過酷な体験は、戦地と同等に悲惨で不条理である。死があまりにも身近だった記憶は永劫残り続け、戦後79年が経過してもなお悪夢にうなされる人もいる。子どもや女性に犠牲を強い、何世代にもわたって影響を及ぼすのが戦争なのだということを改めて識らされる。命が軽んじられる世の中だからこそ、「後世に伝えたい」という思いを受け止めないといけない。体験が語られる機会は少なくなったが、まだ間に合う。2024/10/25
みさと
6
読売新聞の連載企画「引き揚げを語る 戦後七十八年」の書籍化。高齢となった体験者から話を聞ける最後の機会だとの切実な思いで取材に臨む。戦争は敵地上軍が侵攻してくる。必ず一般住民が難民となって高齢者や子どもなど弱い者から次々と命を落としていく。満州・朝鮮・樺太などで起きたことが民間人が直面する戦争の現実。銃を構えたソ連兵が「女を出せ」と迫る。栄養失調や病気で赤子や肉親が目の前で亡くなる。命からがら国に帰っても生活基盤が何もなく極貧に苦しみ続ける。戦争は一度やってしまったら百年は苦しみが続く。苦しむのは子ども。2024/10/09
高木正雄
3
このような話を聞けるのもあとわずかだろう。今の若者はソ連もわからないとなればこの方たちの話も意味がわからないのだろう。引き揚げ者の苦労もあって今日の日本があるのである。そして開拓団として送り出し、帰国したあとには劣悪な土地を開墾させておいて取り上げた政府はお話にならない2024/11/26