内容説明
アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)は、「不条理に人間としてどう立ち向かうか」を描いた小説として、時代を越えて読み継がれている。特に、3.11を経験し、戦後民主主義を否定する政治的な動きが広がる現在の日本社会において、この作品を読む意義は大きい。不条理に反抗する力とは。人間の可能性とは。カミュの思想も紹介しながら、根源から読み解く。
目次
第1章 ペストに襲われた町
第2章 災禍に戸惑う人びと―ペストは“神の審判”なのか
第3章 “神なしに”ペストと闘う人びと―誠実に生きるということ
第4章 「われ反抗す、ゆえにわれら在り」―カミュとボンヘッファー
著者等紹介
宮田光雄[ミヤタミツオ]
1928年、高知県に生まれる。1951年、東京大学法学部卒業。東北大学名誉教授。ヨーロッパ思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケイ
126
カミュ「ペスト」についての解説で、これほどわかりやすく説明されていることに感動した。章立てて、論理的に整然と順序よく語られるから、難解なことでも理解し消化出来た。パヌルー神父の一部は、宮田氏の文を読んだ後では、サルトルであったかのようにも思える。カミュの宗教に対する考え方は、理解しやすい。神のもとに召されてからの幸せより、この世で子供たちが苦しむことから救おうとすべきだ。神なしにペストと戦う力、連隊的な人間実存を可能にするのは、不条理な現実に対する反抗である。岩波の文学を発信する力に感服。2020/04/28
松本直哉
30
タイトルはカミュ『反抗的人間』の一節。反抗するのはわれだが、在るのは我らである。不条理に直面して反抗するとき、反抗そのものは個人的でも、それを通じて連帯が生まれる。一回目の説教では天災のペストについて「あなたがた」と他人事のように呼びかけていたパヌルー神父が、罪なき少年が苦しみながら死ぬのを目の当たりしたあとの説教では主語を「我ら」に変える。反抗において人間は他人のなかに超越するのである。しかし私は思う、このような「我ら」はもはや存在しないのではなかろうか。以下コメント欄2021/01/16
nbhd
16
「わたしは…自分がいかなる絶対的真理をもいかなる使命をも所有してはいないと感じているので、けっしてキリスト教的真理が虚妄であるという原則から出発せず、ただ、わたしがそこに入ることができなかったという事実から出発するつもりだということを明言しておきたいと思います。」(1948年、カミュ講演「無信仰者とキリスト教徒」)2018/07/05
Narr
15
『ペスト』の復習と作者カミュを知る手立てとして読了。カミュの思想の源泉を垣間見ることができました。生命にとって不可避な不条理への《反抗》とは、危機に対面した誠実な人間の在り方そのものなんですよね。私たちは連帯することができる。カミュが言わんとすることだけでなく、歴史や文学と。文学を読むというのはその行為自体《反抗》的行為なのかもしれませんね。不条理への救いを求めるという意味で。2020/05/09
ほっしー
7
カミュの『ペスト』の副読本のような1冊。本書を読んだ方が話は理解しやすいと思う。2020/06/13