出版社内容情報
ギリシア悲劇は詩形式の文芸である.清朗の春,新作が上演された.余りにも人間的な,余りにも現代的なギリシア古典文芸の精華に新たな息吹を与えることを願い,全篇を新訳,脚注・解説を付し,夢を託す陶器の破片のように凛と美しい「断片」をも集成して刊行する.ここにいるのは,他でもない,私たちなのである.
目次
アルケースティス
メーデイア
ヘーラクレイダイ―ヘーラクレースの子供たち
ヒッポリュトス
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
256
『アルケースティス』のみ。原話はテッサリア地方に古くから伝わる民話であるようだ。また、ここに登場するアルケースティスやアドメートス、ペレースの名はホメーロスにも記されている。本作は、現存する作品の中では、エウリーピデースの最も初期のもの。劇の始まりから、すでに王妃アルケースティスが王アドメートスの身代わりとして、間もなく死ぬ運命にあることがわかっているだけに、劇的緊張が高まることはない。もっとも、死を目前にしたアルケースティスの嘆きは観客にもひしひしと伝わるだろう。一方、自らは死を免れた⇒2025/09/11
ヴェネツィア
230
『ヒッポリュトス』のみの感想。現代の私たちの目からすれば、ヒッポリュトスの不条理劇そのものである。キュプリス(=アフロディテ)の神威を恐れず、愛の交わりを卑しめているヒッポリュトスは、その性向故にキュプリスの罰を受けることになる。キュプリスの奸計は、義母のパイドラーにヒッポリュトスへの愛を植え付けることであった。パイドラーは苦しみの余り自死を図るが、乳母にそれを止められたばかりか、ヒッポリュトスに告げられてしまう。ヒッポリュトスは当然それを受けることはない。挙げ句にパイドラーは自死を選び、あろうことか⇒2025/09/20
ヴェネツィア
225
感想は『ヘーラクレイダイ』のみ。この作品は典型的な「嘆願劇」の構造に依っているようだ。 そして、この場合の嘆願者は、直接的にはイオラーオス(ヘラクレスの甥、老人)だが、実質的にはヘラクレスの幼い子どもたちである。被嘆願者はアテナイの王のデーモポーン、迫害者はアルゴス王のエウリュステウスという関係性の中で劇が展開する。ただ、ややこしいことにそこに神託が介在し、マカリアー(ヘラクレスの娘)が自らの身を捧げるという物語が混入する。にも関わらず、彼女の、あるいは他の者たちの葛藤は十分に語られることなく、劇は⇒2025/09/24
ヴェネツィア
221
数あるエウリーピデースの作品の中で、最もよく知られたのは『メーデイア』だろう。簡単に言ってしまえば、夫に裏切られた女が新しい妻に復讐する物語であり、日本古典にもよく見られる、いわゆる「うわなり打ち」である。メーデイアの物語には、彼女がコルキスからギリシア世界にやってきた前史があるようなのだが、ここではそれとなく暗示されるのみである。そして、父母や兄弟すべてを捨てて夫のイアーソーンに従ってギリシアまで来ながら、裏切られたのである。相手はコリントスの王女であった。メーデイアは、イアーソーンの後妻を殺し、⇒2025/09/17
syaori
58
三代悲劇詩人の一人エウリピデスの作品集。アイスキュロスやソフォクレスと比べエウリピデスの悲劇は開かれているという印象を持ちました。前二者では悲劇は神の力や予言といった人間を超えた強大な力を前に、それを迎えまたは耐える英雄のものでしたが、エウリピデスでは悲劇は不貞な夫への怒りや秘密の恋を暴かれ退けられた誇りから起きるのであり、彼らの悲劇はなんと私たちの身近にあることか。そしてだからこそ、夫に裏切られたメディアの怖ろしい情念や妻を身代わりにしたアドメートスの欺瞞が自分のものとして苦く迫ってくるのだと思います。2021/08/13