出版社内容情報
「遠いところまで来てしまった」――五歳でパリに連れて行かれ、日本語の通じない状況に置かれた「私」は、突如として言葉と世界との結びつきを失った。その経験を原点に、人間にとって喪失とは何か、喪失の意味を普遍的にひらく文学の力とは何かに思いを巡らす。半世紀にわたる、フランス語と日本語との往還から生まれたエッセイ集。
【目次】
はじめに――Nidづくり
第一部 喪失の果ての言葉――文学作品との対話
失うことを恐れる――多孔性の時代のなかで
ある日、すべてを失う――エマニュエル・カレール『一三日金』
失い方を身につける――エリザベス・ビショップ「ある方法」
存在と不在の中間地帯――バルチュス『ミツ』
失ったものが私を成り立たせている――『レベッカ』と『夢の浮橋』
失われていく側に立つこと――ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』
失うことから学ぶ――ピエール・パシェ、そしてプルースト
第二部 私の喪失と再会の軌跡――日本語とフランス語のあいだで
喪失の軌跡を言葉で敷きつめる
根を失う
戻ることの不可能――距離を生きる
『ロスト・イン・トランスレーション』――言語の地政学
〈在る=存在する?tre〉と〈有る=所有するAvoir〉
日本語で書くことの痛み
近さと遠さについて――失われた対象との距離感
失うこと、見つけることのジグザグ
おわりに――失うことのさらに向こう
謝 辞
内容説明
「遠いところまで来てしまった」―五歳でパリに連れて行かれ、日本語の通じない状況に投げ込まれた「私」は、突如として言葉と世界との結びつきを失った。その経験を原点に、人間にとって喪失とは何かに思いを巡らしつつ、ウルフやプルーストの小説、『源氏物語』、ビショップの詩、ピエール・パシェの『母の前で』などを通じ、喪失の意味を普遍的にひらいていく、文学の力とは何かを考える。半世紀にわたる、フランス語と日本語との往還から生まれた独特なエッセイ集。
目次
第一部 喪失の果ての言葉―文学作品との対話(失うことを恐れる―多孔性の時代のなかで;ある日、すべてを失う―エマニュエル・カレール『一三日金』;失い方を身につける―エリザベス・ビショップ「ある方法」;存在と不在の中間地帯―バルチュス『ミツ』;失ったものが私を成り立たせている―『レベッカ』と『夢の浮橋』;失われていく側に立つこと―ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』;失うことから学ぶ―ピエール・パシェ、そしてプルースト)
第二部 私の喪失と再会の軌跡―日本語とフランス語のあいだで(喪失の軌跡を言葉で敷きつめる;根を失う;戻ることの不可能―距離を生きる;『ロスト・イン・トランスレーション』―言語の地政学;〈在る=存在する^Etre〉と〈有る=所有するAvoir〉;日本語で書くことの痛み; 近さと遠さについて―失われた対象との距離感;失うこと、見つけることのジグザグ)
著者等紹介
根本美作子[ネモトミサコ]
1967年生まれ。5歳で渡仏。9歳で日本に戻り、12歳でイタリアへ。14歳で再びフランスに移り、日本で大学に入学するまでパリ在住。1996年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。現在、明治大学文学部教授。フランス文学、表象文化論専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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