出版社内容情報
運命の一九四五年八月一五日。終戦の詔勅の放送を阻止せんとする反乱軍に占拠された放送局で、銃を突き付けられた報道責任者の目に映っていたのは何だったのか。戦前~戦後を生き抜いたジャーナリスト柳澤恭雄[1909-2007]の苦悩や逡巡、決断をたどり、「報道の自由」が、どのような顛末でもたらされたのかを詳らかにする。
【目次】
はじめに
銃口を突き付けられて
第一章 ジャーナリストにあこがれて
少年時代
ラジオの道へ
私は叫びたい! 自主取材を求めて
第二章 軍と一体化したラジオ
突然届いた召集令状
謀略、偽のラジオ放送
“前線”から帰国
様変わりしていた日本放送協会
検閲放送の実態
大本営の嘘はいつから始まったのか
造語で隠された大敗と全滅
第三章 苦悩と葛藤
秘密の自主取材へ
「竹やり事件」──軍とマスメディアの直接対決
思いを込めた解説放送「世界の戦局」
日本放送協会としてマイクの前に立つ
鳴らなかった空襲警報
敗戦へのカウントダウン
ラジオ局に泊まり込む生活が始まる
ポツダム宣言
沁みついてしまった自己規制
第四章 無条件降伏か徹底抗戦か
「黙殺」発言の衝撃
最後の望みがついえる
近衛歩兵連隊の苦悩
外務省と国際放送の和平派たち
“サブジェクト・トゥ”をめぐる攻防
全軍決起か、反乱か
聖断くだる
玉音放送のプロデューサー
畑中少佐の策動
玉音の録音盤を守れ!
反乱軍決起
沈黙の三分間
歴史の偶然に守られた玉音放送
百八十度ひっくり返った「命令」
『日本のいちばん長い日』に異議あり
第五章 日本の放送はどこへ
焼け野原からの再出発
放送協会は存続できるのか?
悲願、自主取材の実現へ
物議をかもした解説放送
初代ニューディーラーたち
民主化が遅れた放送協会
史上例をみない放送ストライキへ
ニューディーラーとの出会い
GHQ占領政策の大転換
譲れない一線──「放送の独立」をめざして
レッドパージの幕あけ
第六章 テレビ報道の現場へ
中国へ
日本初、テレビ映像通信社をつくる
東側のニュースを日本へ
ベトナム戦争報道へ
後輩の死を背負い
死ぬまで続いた戦後
おわりに
引用・参照注
主要参考資料
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- 洋書
- Model Child
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- 洋書
- Happy family



