遠い声をさがして―学校事故をめぐる“同行者”たちの記録

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遠い声をさがして―学校事故をめぐる“同行者”たちの記録

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  • サイズ 46判/ページ数 338p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784000615396
  • NDC分類 374.92
  • Cコード C0036

出版社内容情報

小学校のプールで失われた命。なぜ、どうして、事故は起きてしまったのか。受容と忘却の圧力に抗い、「その時」に迫ろうとする両親と同行者たちの苦悩と行動。そこから浮かびあがる学校や行政の姿。同行者の一人として出来事にかかわった文化人類学者が、多声的な語りから亡き人とともに生きることの意味と可能性を考える。

内容説明

二〇一二年夏、小学校のプールで一人の女の子が亡くなった。なぜ、どうして、事故は起きてしまったのか。出来事の受容を促す物語にあらがい、終わりのない問いを投げかけつづける両親と同行者たちの苦悩と行動。そこから浮かびあがってきた、学校や行政の抱えるさまざまな問題。事故後の道程に同行した文化人類学者が、多声的な声の連なりを通して、亡き人とともに生きることの意味と可能性を考える。

目次

序章 出来事のはじまり
第1部 つながりをなくした世界で(羽菜ちゃんという女の子;夏休みのプール学習中に起きた事故;「日常に戻りなさい」という圧力;追悼のかたちをめぐる学校と遺族の距離)
第2部 「公正中立」な調査とその限界(プールでの再現検証と聴き取り;第三者委員会の解散と残された疑問;自主検証の実現を求めて)
第3部 「遠い声」を探しつづける遺族と同行者たち(自分たちの手で検証実験をデザインする;救護プロセスと語りをたどりなおす;それぞれの視点から浮かび上がる問題点)
終章 「同行者になる」ということ

著者等紹介

石井美保[イシイミホ]
1973年、大阪府生まれ。文化人類学者。北海道大学文学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。宗教実践や環境運動をテーマにタンザニア、ガーナ、インドで調査を行う。現在、京都大学人文科学研究所准教授。第14回日本学術振興会賞受賞(2017年)、第10回京都大学たちばな賞受賞(2018年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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takao

2
ふむ学校事故2023/07/20

Keikoh

2
私たちが問いつづける問いはふたつあります。「なぜ、私たちはあの子を失わなければならなかったのか、なぜあの子はいないのか」のwhyと、「どのようにして事故は起きたのか、あの子はどうやって死んでしまったのか」のhowです。whyの問いに答えはありません。私たちは一生悔いつづけるでしょう。私たちがあの子を守ってやれなかった、生きさせてやれなかった。しかし、howの問いには答えがあります。事故が「どのようにして」起きたのかということはせめて知りたい、それによって羽菜の人生を最後まで守ってやりたいと願っています。2022/10/24

鳩羽

2
2012年に小学校のプールで起こった女の子の死亡事故。なぜ、どのようにして事故は起こり、娘が亡くなってしまったのか明らかにすることを望む遺族と、同じような事故が二度と起こらないよう、マニュアルや体制の作成に注力しがちな教育委員会。遺族と知り合いだった文化人類学者の著者は、事故をめぐる展開に〈同行者〉として関わりながら、回復の物語や再発防止だけでは掬いきれない、個人の人生の最後の声を求めていく。第三者委員会の設置や聞き取りなどが、結果的に遺族のためではなく、社会が日常に戻るためというのがなんとも虚しい。2022/08/13

雨宮菖蒲

0
2012年、ある小学校のプールで夏休み中に1年生の児童が溺死するという事故が起こった。 この本は事故について、文化人類学者である著者が、亡くなった子の両親の友人という<同行者>の立場から書き表したものである。 事故後、娘の死の原因について知りたい両親の願いとは裏腹に、京都市教育委員会は事故原因について詳細な調査をせず、早々に事故の再発防止に向けた未来の方向へ進んでいく。 そうした中、置き去りにされた両親は民事裁判を起こすとともに、事故原因の解明のため第三者委員会を設置することを目指して動き出していく。2023/03/24

かいけん

0
夏休みのプール授業中に亡くなった小1の女の子、その家族とこの事故に関わった人たちの10年の記録。この本が独特なのは、遺族による主観的正面の視点でも、ジャーナリストによる第三者的対面の視点でもなく、同じ小学校に通い同じ授業に出ていた娘の母親による当事者でもなくが全くの第三者でもない立場による「真横から」の視点と、著者の文化人類学者という研究者の思考で書かれていることによるものだからだろう。2023/03/17

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